明光商会/高木禮二:オフィスの必需品を独自に開発し普及させた貢献者
情報管理が当然となった現在の社会では、オフィスや公的機関で当然のように使われているシュレッダー。この量産化を行ったのは、明光商会の創業者、高木禮二である。シュレッダー自体の発明は20世紀前半にアメリカやドイツで行われていた。高木はこうした海外の製品と、うどんの製麺機にヒントに独自のシュレッダーを開発。60年に「MSシュレッダー」として販売を開始した。当初は情報管理の概念が希薄な為、売上は伸びなかったが、時代の変革と共に需要が急増し、現在に至っている。出典 –日本の最先端技術がよくわかる本 (晋遊舎ムック)
ナイロンストッキングで巨万の富を築き転落、廃業から立ち上がりシュレッダーを発明
神戸市生まれ。47年拓殖大学専門部開拓科中退後、トラック運転手などさまざまなアルバイトを経て、48年有限会社戸山ナイロン商会を設立。百貨店の修理コーナーに集まるナイロンストッキングを工場に届ける運送業やストッキングの修理、製造業を手掛けた。54年リコーの複写機販売会社三幸へ入社し、56年単身無資本で明光商会を創業。海外で販売されていた製品を参考に、60年に日本発のシュレッダーを開発。「製麺機のようだ」とつぶやいた高木の言葉が伝聞されていきうどんの製麺機にヒントを得て開発をしたように言われる。参照:明光商会

商魂たくましい昭和の名物経営者による発明
立身出世主義のロマン溢れる人だったようであり、まさに昭和のメインストリーム的な経営者である。
この手の人々における成果とは、商売をし一山当てて、カネを稼ぎ、やりたかった余暇や趣味に興じ、貢献した地域や財界に顔を出して尽力して、最後は国から褒章や爵位を得る。
典型的な昭和の名経営者の一連のパターンであるが、私たちの時代には、あまり合わない価値観である。まず創業して会社を興す。商売で一山当てる。このあたりまでは普通の社長のパターンだ。

現在において語られる美談とおもわれるパターンを考えてみよう。いいアイデアがあり事業化するが、それは社会貢献に向き、ソーシャルの緩い繋がりを築き、NPOに近いモデルを最初から創設する。
NPOで金銭以外の繋がり「社会の諸問題を共に解決する志」から仲間を作り上げ、事業的なモノをそれとなくはじめ、社会や世論の支持を得て、援助を得ながら、己の名声と貢献における羨望を得る為に走り続ける。
まあこれはひとつのパターンであるが「カネ」を原動力にするか「社会貢献」を原動力にするかの違いであるが、現在までの発明は、よりカネを原動力とする「向き」が多く、その後の商売を見れば明らかである。
シュレッダーを見れば明らかであるが、商材という意味で発明がはじまり、基本的概念は他国にあったわけだ。それを日本的に応用して発明し、法人向けの卸売業をするための商材開発が本音であろう。
最初から法人向け卸売商材をターゲットとしなければ、シュレッダーは生まれなかったかもしれず、個人を相手にした発明であれば、上記の写真のように「はさみを連棟に並べて一度に切る」ようにすればいい。
そのような意味では、ソーシャルで緩い繋がりを以て、社会貢献を最初に持ってくる原動力よりも、商売で一山当てる的な昭和的な原動力の方が、発明においては、長く寿命を全うでき、その進化の可能性が高く、結果的に社会貢献になるといえる。
どちらが好みかはその人によるだろう。個人的に言うと、まだ「カネを稼ぎたい為に発明で一山当てる」という発想の方が、世に革新をもたらすチカラが強いと思いますけどね。
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Reference:日本の最先端技術がよくわかる本