【ラグジュアリー戦略】マーケティング逆張りの法則:製品は傷を持ち傷を許容させてしまうだけの力があるか
エンツォ・フェラーリのブランド哲学を見ていると、その目指しているのは、完璧な製品を世に送り出す事ではない。
あくなき完璧さの追求である。普通の製品であれば、少しの故障やリコールなどで注意され、返品の対象となるだろう。
フェラーリにおいては、傷について買わない人が知らないというよりも、あって当然と思わせる。それが魅力であり、真生性の証明と言いたいようである。
ブランドを芸術と捉え、果てしなき探求に余念がない。その姿勢があるからこそ、完璧を通り越した「狂気」を感じるのである。それを集める人が出てくる。
驚異的に高いほうが売れてしまうのがラグジュアリーブランド
エルメスが提供するアクセサリーを見ても、高額で同じく手元を綺麗に見せるという目的は同じであるが、その価格を見ても驚異的に高い。
フェラーリにおいても、もはや普通の自動車ではなく芸術品のような域に達している。
実用主義や機能の比較では比べる事すらないのだが、同じラグジュアリー同士の場合、ファン以外は、横比較されるのは致し方ないだろう。
ただ一方で、狂信的というぐらいのファンの獲得も成功する事が、ブランドの基礎をつくる大事な要素である事は分かる。
ラグジュアリーブランドでは、実用主義や機能比較で先頭走者になるなどということには興味がない
ラグジュアリーブランドでは、実用主義や機能比較で先頭走者になるなどということには興味がない。
クルマの世界で言えば、簡単に滑らかで静かな運転が好きなら、フェラーリは完璧な車どころではない。
所有するためには過去何台かフェラーリを所有していて、高額所得が一定以上でなければ買えない事が多く審査をして販売している。
それでも超高額になるがあっという間に完売してしまう。フェラーリには所有者にその傷を許容させてしまうだけの力があり、需要を完全にコントロールする事で、希少性を引き上げ、台数ではなく、売価を最大化させる戦略で成功している。
参照:ラグジュアリー戦略―真のラグジュアリーブランドをいかに構築しマネジメントするか