ライカ Leica IIIf バルナック セルフタイマー付 ズミクロン Summicron Ernst Leitz Wetzlar レンズ 1954年
- シャッタースピード:1~1/1000秒
- フォーカルプレーンシャッター:布幕式横走
- レンズ:Summicron Ernst Leitz Wetzlar f=5cm 1:2
- フード:Summicron The ACTINA TOKYO メタルレンズフード
- 露出:マニュアル制御
- レッドシンクロ:後期型
- 最高同調速度:1/50 秒
ライカIIIf レッドシンクロ(52年発売) – 製造番号615001から当時のシャッター速度系列がアメリカ規格の T、1、1/2、1/5、1/10、15、B、1/25、1/50、1/75、1/100、1/200、1/500、1/1000 秒になりコンタクトナンバーが赤文字になったため「レッドシンクロ」と俗称する。これに対し従前のコンタクトナンバーが黒文字のモデルを「ブラックシンクロ」と俗称する。現代のエレクトロニックフラッシュを使用する場合、コンタクトナンバーは20に合わせる。ライカIIIf セルフタイマー付き(54年発売) – ライカ M3 発売と同時に製造番号685001からセルフタイマーを装備。ライカIIIdが極めて少ない、特殊モデルであるため、事実上セルフタイマーを装備した初めてのモデルである。参照:ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧-wiki
バルナックライカの代表的モデルであり、完成型最高モデル
今回取り上げるのは、バルナックライカの代表的モデルであり、完成型モデルである「ライカ”IIIf”セルフタイマー」である。
うちの祖父が、30代の頃に購入したモデルであるが、なかなか保管状態も良く、専用のケース及び箱に大切に保管されていたモデルである。特殊な趣向なのか、高級ブランドや嗜好品における投資感覚は、血筋って感じを受ける。
前回、【LeicaⅡ】ライカⅡ D2 バルナック型 レンジファインダーカメラ を紹介したが、2 機目が生きていたので、簡単にではあるが記しておきたい。
祖父の叔父や自身の祖父は、高級機カメラや切手、コインや金や銀、その他様々な嗜好品、宝飾品まで多くのコレクションをしていたようである。
ただ、二度の災害に被災し、ほとんどの家財を失ってしまったが、その中でも運良く残った形見を整理している最中である。
その中で発見した同モデルなのだが、1945 年に IIIf からシンクロ機能を搭載したモデルとして登場し、ブラックシンクロモデルが初期に投入されている。
また、IIIf から1950年にレッドシンクロ、1954年にセルフタイマー付が投入され、満を持して円熟したモデルを購入したようである。
外装の仕上げや設計は、現在でも基本的な部分は変わらず、質感、動作感覚、シャッター音など、当時のままであり、現在でも使用できる。さすがライカである。
デジタル全盛時代でも一般的なデジタル一眼よりも安定的に高額取引されている

最初、発見したときに、このカメラの価値がいくらになるのか分からなかったのだが、現在の二次市場の価値がどのくらいになるのか。念のため調べていこうと思う。
さっそく「オークファン」で相場を確認していこう。比較的状態の近い似たモデルの相場をチェックしていくと、おおよそ数万円以上の機種から、十万単位があったりと、程度や付属品によってある程度値段がつくようだ。
稀少性があり、数も少なく、あまり出ていないモデルゆえ、ライカブランドの底堅いブランド力を示している。個人的に考える真のブランド力がある企業、それが ライカ・ブランド である。
ちなみに、買取査定額もついでながら聞いてみたが、約 51,000 円程度で買取が可能であるようだ。整備済ではないので、若干価格は落ちるが、現在でも、数万以上するのは軽い驚きであるが、時期が来たら次の人の為に断捨離を行いたいと思う。
戦後日本のカメラ事業はライカカメラのコピーから始められた
ライカはその驚異的な開発力から、他の企業に戦後カメラを事業として製品をつくる場合に研究されつくされ、模倣をされた。
多くの企業は、ライカカメラのコピーから始められたが、ベンチマークがなかったから当然といえる。
主要ターゲットになったのが、「1945年 / 戦後型ライカ IIIc」であり、その後継完成形モデルである「1945年/ライカ IIIf ブラックシンクロ」をベンチマークとされた。
戦後日本のカメラの出発点となったと言っても過言でもないのが、ライカブランドにはあったようである。
スクリューマウント型 ライカの最終とも言えるのが 「ライカIIIf」 そのライカ最終機でセルフタイマーを付けたのが、最終の最終モデルであったようである。
当時はフルスペック満載機であり、写真を撮りまくったようであり、祖父の古い日記でも、相棒を連れ出して撮影を楽しんでいる。当時からハイカラである。
最大のセールスポイントは、ダイヤル周りにコンタクトナンバー(1~20)の刻印である。この数字は、あらゆるフラッシュ球にも対応できるという高性能を誇った。
1945年初期のIIIfは、黒い数字の刻印は通称 「ブラックシンクロ」 と呼ばれ、1954年IIIf・セルフタイマー付は、赤色にマイナーチェンジされ変更されている。通称「ブラックシンクロ/レッドシンクロ」と呼ばれた。
ブラックは”初期型”、レッドは”後期型”と言われているので、カメラ好きな方であれば、どなたでも知っている事であろう。
レッドシンクロにおいては、シンクロの効率を高め、シャッターの幕速の高速化が図られている。設計の変更点であり、最大の機能向上である。
シャッターの速度数列が初期型と違うようである。祖父は、ストロボ撮影が好きであったが、最高同調速度・1/30秒がブラックシンクロに対して、レッドシンクロにおいては、1/50秒に性能が大きく向上している。
レンズについて調べていくと 「ズミクロン Summicron Ernst Leitz Wetzlar f=5cm 1:2」 。非常に精密な設計であり、大変美しいレンズである。
クラッシックレンズの世界で最も著名なモデルなのだそうである。祖父が自慢するはずである。知恵袋やら、面白いブログがあったので、レンズはこちらで参考に読んでみたが、なるほど非常に面白かった。
レンズフードも同じく 「Summicron The ACTINA TOKYO 」メタルレンズフードは、わざわざライカ代理店シュミット商会まで行って購入したようである。ちなみに 「ACTINA」 銘が入っているのは、自社で出しているモデルの名前である。
ライカから見えてくる真のブランド力とは
ライカの初期からのコンセプトである「精密・堅牢・軽量でかつ小型」という、現在では当たり前の思想と設計で、製品として完成させた非常に優れたブランドである。
発売された当時、他社を凌駕した秀逸なモデルであったため、多くの人々の虜になり、憧れの機種であったようである。IIIf 初期は、昭和20年、IIIfセルフは、昭和29年である。
大名刺判蛇腹カメラばかりの時代に、現在でも通用する設計とカメラの基本モデルであるIIIf。戦後日本が大変貧しい時代に投入されたモデルであり、その時代にこのモデルを見た人々は、非常に驚嘆した事であろう。
さてデザイン面であるが、シンプルなセルフタイマー無しの方がシンプルで軽く、シルエットは美しいのであるが、個人的に言うとやはりセルフタイマー付きをオススメしたい。
ライカファンかカメラコレクターであれば、一度は購入し手に入れて置く事を薦める。非常に良く出来ている。
上記を確認すれば理解していただけるが、中古市場でも程よい価格帯で売られており、専門店やオークションで購入する事ができる。
古いレンズを持ってきて、レトロな作品を残したり、最新のレンズを持ってきて、シャープな作品を撮りたい場合にも十分使える。
このあたりのライカの美品は貴重であり、クラシックながら、現在でも十分使える秀逸なモデルであり、新しいカメラの魅力が見つかる事が確実といえる。
真のブランドというのは、時代を越えて評価され、尚且つ個々の商品モデルがしっかりとした市場価値があり、長い年月着実に企業を育ててきた信頼が、現在でも証明されることをいう。
ブランドネームだけが一人歩きをし、個々の商品モデルが、二束三文のブランドも多数みられる中で、ライカのようなブランドをしっかりと見極める事が大事である。