日本光学工業:ニコン ”Nikon” F 一眼レフ フィルムカメラ
1959年発売 発売時の価格 67,000 円 (5 cm F2 付) 使いやすさ・操作の自動化、多彩な交換レンズ、交換式ファインダー、モータドライブなどのシステム性、多用途性が高い評価を得た。そして、ニコンFシリーズの伝統となった耐久性、信頼性により、報道関係をはじめプロカメラマンの定番カメラとなった。参照:Nikon | 報道資料: ニコンFシリーズについて
- 発売:1959年
- イメージセンサー:サイズ24×36mm(ライカ判)
- 記録メディア:135フィルム
- レンズマウント:ニコンFマウント
- レンズ:レンズ交換式
- 焦点:マニュアル
- 露出:露出計ニコンメーターを装着可能
- ストロボ:JIS B型 準拠アクセサリーシュー、フラシュ同調
- ストロボ同期:4種の同期設定に対応
- フレームレート:1コマ1動作ラビットワインダー
- シャッター:フォーカルプレーンシャッター
- シャッタースピード:タイム、バルブ、同調1秒~1/1000秒
- F値:1:2(標準レンズ NIKKOR-S Auto 50mm の時)
- 露出計測:ニコンメーター装着可能
- 露出モード:バルブ、タイム、露出計連動
- 計量モード:セレン光電池式
- 連続撮影:モータードライブ装着1秒間に約3コマ撮影可能
- ファインダー:交換式
- バッテリー:電池なしで動作
- 寸法:147×98×89ミリ / 重量:905g
- オプションバックアップ:直結式電池ケース
- オプションモータードライブ:F-36/F-250
相場は底堅く安定的 Fモデルは 約 58 年以上経っても高額取引を続けている
上記のデータは 「オークデータ 」 で、ニコンのマニュアルフォーカス 一眼レフ フィルムカメラ カテゴリーの約 5 年間の総落札数を調べてみた。比較的安定しているが、少しづつであるが上昇している。
流行り廃りの激しいカメラ市場で、安定的な二次市場を形成していることから、ニコンブランドの底堅さが理解できる。
マニュアルフォーカス一眼レフフィルムカメラにおいては、ほとんどが調整ないし、修理を必要とするモノが多く出品されており、それでも市場が衰えず、修理して使い続ける一定の層に支えられているのも、なんとも微笑ましい。
良いモデルを長く使い続ける。中古相場の数字は表層的であるが、そう信じたい。
続いて「オークファン 」で約10年間の取引相場をざっくりとみていこう。約 10 万円代~ 60 万円代と幅広く並んでいる。
高額に取引されているのは、シリアル番号が、初期もしくは非常に稀少性のある番号などが考えられる。また、美品・即使用可能なのも高額取引としても有効である。
付属品やレンズ類においても、当時のまま綺麗に手入れされているモデルなどで、フルセットであれば、現在でも非常に高額に取引される。
個人的に保有しているモデルは、約 15 万円程度モデルと考えられ、状態的に悪くなく、綺麗な状態であるが、番号的に前期に属するので、比較的高額に取引される。
シリアル番号などの記録などは「ニコン全一眼レフカメラ発売年表/仕様 By キンタロウ 」で自分の保有しているモデルのシリアルと照合し参照した。
日本光学工業飛躍となった画期的なモデル
日本光学工業 は1917年設立、戦時中は光学機器一連の事業を行い、双眼鏡、距離計、潜望鏡などの軍事機器を製造していた。
第二次世界大戦後、民間市場に参入を決意、光学分野のノウハウがあり、30年代に、キャノン向け等にカメラレンズを法人受注に応えた事から、参入する新市場にまずは「カメラ」に狙いを絞る。
日本光学工業は「ニコンI型」となるカメラの設計に着手、48年に発売。88年 昭和63年 社名を 「ニコン”Nikon”」 に改称している。
ニコンFは、59年6月に投入されたモデル。シャッター速度とレンズ絞りの両方が連動する露出計システムを世界で初めて実現したモデルである。
ニコンFは、当時実用化されていた一眼レフの新機能をすべて搭載。交換式ファインダーを含め、設計当初より、完全なカメラシステムを構想し実用化した画期的なモデルである。バッテリー式モータードライブによるフィルム自動巻上を実現したのもニコンF。まさに世界初だらけである。
基本的なプラットフォームは「ニコンSP」をベースとし一眼レフを投入する戦略
ニコンFは、59年の登場であるが、36年キネ・エキザクタ、コンタックスS、54年アサヒフレックスⅡB型、57年アサヒ・ペンタックスなどのモデルを技術的に研究、その技術を上回り築かれたモデルである。
日本光学にとって初期の革命的モデルであり、過去のモデルからの大きな飛躍モデルとなり、更田正彦設計による一眼レフカメラ、48年まで遡る同社のレンジファインダー機を塗り替えるものとなったようである。
ニコンFの登場前、54年の「ライカ M3」登場に衝撃をもって伝えられた日本光学工業は、市場投入間際だったニコンS2の急遽改良を行う。フィルム巻上をレバー式に、巻戻をクランク式に改良して、対抗機種として投入。
57年 ニコンレンジファインダー機の最高級機となる、6種類の焦点距離交換レンズに対応した2つのファインダーを内蔵する「ニコンSP」を市場に投入する。
さらにファインダーをシンプルにした普及版、ニコンS3・S4を矢継ぎ早に市場に投入し、プロカメラマンから裕福なアマチュアカメラマンまで、一定の支持を得た。
だが、ライカM3のように距離計を実装する事はこの当時では無理であったようだ。そこで、日本光学工業は、並行して、レンジファインダー機、ニコンSPをベースとする基本的プラットフォームから、さらに進化させる事を考え、開発を進めたのが、ニコンFである。
ニコンFは、ミラーボックス、ペンタプリズム、バヨネット式レンズマウントを相次いで追加。この追加は、一筋縄ではいかず、カメラ構造を一から考え直す必要に迫られ、この機会を最大限に生かし、開発を成功させる。
両機種を並べれば一目でわかり、ニコンFは、ニコンSPのボディを半分切って伸ばして、中央にミラーボックスを挟み込んだ設計となっている。
シャッターボタン・シャッター速度ダイヤル・フィルム巻上レバーなどは、主要操作部の位置関係は全く同じであり、最大限の流用が見られる。
投入当初には、ペンタプリズム部の前面張出装着式のセレン式露出計がアクセサリーとして用意。シャッターダイアルとレンズ絞りリング両方に連動する仕掛けが施されていた。
この絞りを露出計に連動させ、リングの位置に装着された爪があり、これが「ニコンのシンボル」通称「カニの爪」である。
レンズマウントの爪内径44ミリとされ、比較的径の大きい「バヨネット」を採用。
自動絞・開放測光、オートフォーカス駆動等の連動に都合が良く、それが「ニコンFマウント」であり、半世紀以上を経た現在のデジタル一眼レフにも、機械寸法は同じで、最大限の互換性を保ったまま受け継がれている。
レンズは比較的二次市場でも高額に取引される。
ニコンFは、約30年間にわたり一眼レフカメラ設計の新標準として、他のメーカーでも広く採用され、現在のデジタル一眼レフに影響を及ぼしている。
ニコンFは、26年以降、高品質カメラ製造のトップ企業、ツァイス・イコン社を抑えた事で、日本カメラ産業の優位性を不動のものとした重要なモデルであった。
ニコンFは、アイレベルファインダーの視野率は100%という。毎秒4コマのモータードライブをふくむ幅広いアクセサリーと、約 21mm~500mmまでのレンズ同時発売されたという。
「ニッコールレンズ」は極めて高品質のものとして認められたようである。
当初搭載していたのは、シンプルなペンタプリズム式アイレベルファインダー。62年からはフォトミックファインダーに交換可能になる。
このファインダーには、シャッタースピードダイアル及びレンズ絞りリングと連動した露出計が搭載。
測光はファインダーを通じて行われたため、厳密にはレンズを通った光 (TTL) による露出計ではなかったようである。
65年「フォトミックT 」でこれを追加投入を施し、さらに改良を加え、68年「フォトミックFTn」をさらに投入して、「中央部重点度”60%”TTL測光機能を可能」する事で、デジカメが投入されるまで、ニコンのカメラの標準となる。
日本光学工業は、ライカM3に一歩及ばなかったが、すでに市場で高い評価を受けていた成功作である 「ニコンSP」 をプラットフォームをベースに一眼レフを投入する戦略は、結果的に大成功する事になる。
日本から米国市場へ長期的なヒットを遂げプロや著名人まで愛用する秀逸モデル
ニコンFのボディは金属性で、非常に堅牢である。シャッター・フィルム巻上機構の驚異的な機能は、あっという間に評判となり、米国では「アイスホッケーパック」のような強固な異名を取るようになる。
非常に人気で、59年から生産終了した74年5月までに約 86万2600台が製造。71年にニコンF2が市場に投入されるまで、当初の設計を改善するために機構の変更が若干行われたのみで非常に完成度の高い秀逸なモデルである。
ニコンFは、米国市場でプロカメラマンの間で広く採用。現在でもその多くが現役で使われている。現在でも使用出来るということは、製造品質と信頼の証である。私が保有しているカメラも現在でも現役で使用可能である。
ニコンFは、この後、魚眼・超望遠・ズームレンズなど多種類を取り揃えた世界最大交換レンズシステムを確立し、プロカメラマンにとってなくてはならないツールに成長。あらゆる商品戦略による一連のフルライン戦略の成功モデルの見本である。
万能性は、特にオリンピックなどのスポーツ写真に遺憾無く発揮、報道の現場でも、新聞社や雑誌社カメラマンに愛用された他のブランドの機器にとって代わって、プロのメインカメラとしての地位を確固たるものにしていく。
ニコンFは、当時アジア各国の紛争を取材していたカメラマンを除けば、欧州市場ではさほど知られておらず、次いで、ニコンFシリーズとして、F2を市場に投入、成功作の次作として、マーケティング戦略を行い、売れゆきは良好となることで変化する。
F2から後続のシリーズはニコンの品質と設計に対する評価を高め、70~80年代からプロ用の標準用カメラと位置づけられるようになる。まさに「 F 」の記号は信頼の証としてブランドの地位を確立している。
ニコンFは、小型カメラとしては、異例ともいえる 15 年という長期にわたって作られ、現在でも、きちんと整備していれば、いまなお使える耐久性のある優れたカメラである。
一眼レフの基本形は、ニコン”F”で完成されたと言っても過言ではない。
ニコンFについての説明は以下の書籍を参考にさせて頂きました。勉強になりますし、カメラの歴史とその歴史的瞬間にいかに関わってきた事を克明に書かれている。
シャッターを切るとは現在の歴史を残すといってもよく、歴史的瞬間を切り取るカメラという優れた道具には驚嘆させられるばかりである。
参考文献 1:図解・カメラの歴史 (ブルーバックス)
参考文献 2:50の名機とアイテムで知る図説カメラの歴史