荒木飛呂彦の漫画術
全く人気が衰えることなく長期連載が続く『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木飛呂彦。「漫画は最強の『総合芸術』」と言い切る彼が、これまで明かすことの無かった漫画の描き方、その秘密を、作品を題材にしながら披瀝する!絵を描く際に必要な「美の黄金比」やキャラクター造型に必須の「身上調査書」、ヘミングウェイに学んだストーリー作りなど、具体的な方法論からその漫画術を明らかに! 本書は、現役の漫画家である著者が自ら手の内を明かす、最初で最後の本である。参照:荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書) より
実際に漫画を描くとき、常に頭に入れておくべきこと、それは、僕が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ図式です。重要な順に挙げていくと、1.「キャラクター」2.「ストーリー」3.「世界観」4.「テーマ」ということになります。この四つは、 それぞれ独立して存在しているのではなく、お互いに深く影響を及ぼし合っています。 この「基本四大構造」を意識しながら描くことが非常に重要です。「よいキャラクターが作られているか」「ストーリーは OK か」「世界観はちゃんと描けているか」「テーマは一貫していて、ぐらついていないか」「絵は大丈夫か」などと常にバランスを確認しながら判断していくと、キャラクターがちゃんと描けていないから、読者は読んでくれないのかな というような、作品の欠点や弱点が浮かび上がってきます。実際、読者に認めてもらえない作品はキャラクターに問題のあることが多いのですが、その欠点が分かれば、次にどうすればいいのかを考えればよいわけです。参照:荒木飛呂彦の漫画術 / 漫画の「基本四大構造」
このあたりについては、概ねその通りだと思うし、常にバランスを意識して作品づくりに取り組むことで、物語は破綻せずに、それなりの作品づくりができる。さらに荒木先生は、これら上記に挙げた内容を丁寧に取り上げている。
そのほかに、絵を描く際に必要な「美の黄金比」やキャラクター造型に必須の「身上調査書」、ヘミングウェイに学んだストーリー作りなど、具体的な方法論からその漫画術を明らかにしているわけだが、それらについては、書籍を参考にしてもらいたい。
多くのサイトで、上記内容の書評を取り上げているので、ここではあまり取り上げない。個人的に取り上げたいのは、当時から考えられない壁やタブーに挑戦し、それを乗り越えてきた天才的な視点を少し前に読んだ「荒木飛呂彦の漫画術」を参考に、簡単にではあるが記しておきたい。
ちなみに、今回掲載させて頂いている原画は、前回の原画展で、原画集を購入して、自ら撮影。それを写真紙にプリントして、額に入れて飾っている物ばかりである。前回の原画展で、スタッフに聞いたところ、原画が指定されており、自分で選べないことから、自作したわけだ。
自分で自由に選べた場合、約 500,000 円以上掛けて、部屋の壁に飾ろうと思っていたが、企画側の融通が利かないことで仕方なく自作した。原画は個人的な好みなので、その点ご容赦頂きたい。
シャーロックホームズのテイストが基本の「魔少年」で 編集部の反感を買う
ビューティーは最初、短期で発表しましたが、自分としては連載にするつもりで描いていました。それが企画の段階でなかなか OK が出ず、連載にこぎつけるまで二年ぐらいかかってしまったのです。 その大きな理由は、編集部の反感でした。ビューティーのようにルールを外れたキャラクターは活躍する作品は「少年ジャンプ」にはなかった分野で、だからこそ挑戦したかったのですが「友情・努力・勝利」がモットーの健全な少年漫画誌に「魔少年」はないだろう、というのが反応でした。参照:魔少年で反感を買う
当時小学校から帰ってきては、連載を読んでいた私としては、突然の終わりに「なんで終わるのか」が理解が出来なかったのが正直な感想であった。こんな斬新な作品はないと。
私は幼少の頃から、根っからの漫画少年で、家には、常に 1,000冊 程度 ( 約40年前その時代では多い ) 膨大な雑誌や単行本があった。
「魔少年ビーティー」に関して言うと、個人的に好きなシャーロックホームズを下敷きにしている作品は、当初より惹きつけられ、荒木先生との初めて出会った作品である。
とくに最終話は、すごく面白く、子供ながら何度も読んでしまい、雑誌を切り抜いてファイリングした (もうなくなってしまったが)
子供時代の良い思い出であり、もう忘れてしまいそうだが、「そばかすの不気味少年」の強烈なキャラクターなど、現在のジョジョでも活かされていることがわかる。
なるほど作品自体、少年漫画誌のタブーで、編集部に反対されていたのか (笑)
ちなみに魔少年に出てくる「麦刈公一」はジョジョの第四部の「広瀬康一」のモデルである。懐かしいと思ったわけだ。
この壁を打ち破った後、荒木先生は、仙台から上京し、本格的に漫画家の活動を始めることになる。
余談だが、上記映像は、「わが青春のトキワ荘」のワンシーンであるが、荒木先生が手塚賞を受賞した時の青年時代のインタビューである。
若いせいか「おのぼりさん」のような先生や「ドクタースランプ」の鳥山先生や「こち亀」秋本先生が、新世代の漫画家として登場している。
また、同時に手塚先生は、荒木先生を高く評価しており、先見の明があり、石ノ森先生を「まぁ ああいう程度のもんでねって」という巨匠の恐ろしさも知れる。
キャラクターは時代の変化に弱いことを認識し 時代を超えて読み継がれる作品を作る
ストーリーがない漫画には弱点があるからです。例えばキャラクター中心の漫画は、一世を風靡したキャラクターであるほど、時が経てば時代遅れになってしまうでしょう。なぜなら、キャラクターは時代性を反映するものだからです。キャラクター漫画の代表「サザエさん」の原作は、おおよそ半世紀前に描かれています。今読むと、そのままでは感覚的にわからないところもあり、どうしても伝わらない部分が出てきます。キャラクター中心の漫画は、時代の変化に応じてアップデートしていかないと、生き残るのは難しいのです。参照:キャラクターは時代の変化に弱い
時代の変化と言うと、ジョジョ以前の漫画では、確かに時代の変化に弱い面は否めない。 ジョジョについては、常にキャラクター並びにストーリーのアップデートが行われ、血脈で繋ぎ、部単位で、すべて新しくなるというブランド戦略を取り入れることで、時代の変化を捉えながら、連載を続けている。
例えば、第一部のジョナサンでずっと続けていれば、これほどの人気となったとは思えないし、ジョナサンが変化し続けるのもアリだが、あえて「主人公を死なせる」というタブーに挑戦したことで、 時代の変化を捉えながら「ストーリー及びキャラクターごとアップデートする」という漫画に革命をもたらしたのである。
読んでいた当時は、ディオ・ブランドーにあっけなく殺されたことに衝撃を覚え、次の日学校で友達と「もう連載終わるの」と話題で持ち切りとなった。
現在、荒木先生のコメントを聞くと、なるほど、当初から第三部まで物語はあったようだ。ただ、当時は意味が分からなかった。
そういう意味で、ジョナサンの孫のジョセフ・ジョースターは、「その手で来たか。やられた。」と嬉しさと同時に、部ごとに物語が続き、キャラクターが新しくなった事と、斬新なアイデアに感激したことで、今でも一番好きなキャラクターの一人である。
トーナメント制の限界とスターダストクルセイダース「スタンド」の革命
トーナメント制の漫画が大ヒットする中、一読者としてそれらの作品をワクワクと楽しみつつも、僕は作者の視点から「頂点まで行ってしまったら、その後はどうするんだろう」と考えざるをえませんでした。その頃の「ジョジョ」はアンケートで苦戦していて「人気を得るためにトーナメント制を取り入れたらどうか」と言われたこともあります。けれども、人々の思いは代々、次の世代に「受け継がれていく」という「ジョジョ」のテーマに沿うものであれば、トーナメント制でジョナサンが頂点に達したら、次の世代はどうするのでしょうか。頂点の後、下がり続けるというのは、僕が考える漫画の王道に反すると思いましたし、そもそも他の作品でやっていることをやっても、それはただの真似でしかありません。参照:「スターダストクルセイダース」が読者に認められた理由
当時読んでいた読者としては、どのページを開いても、画一的にトーナメント制の漫画が増えてきた。
代表的な漫画で言えば、キン肉マン、Dr.スランプ、ドラゴンボール、魁!!男塾、聖闘士星矢、幽遊白書、ONE PIECE、HUNTER×HUNTER、NARUTO、しかりである。
正直、ちょっと大人に近づく年齢となってくると、上記の漫画は皆面白いのだが、トーナメント制導入に「飽き」が来ていたのが正直な感想である。またこれかと。
ジョジョも、上記の漫画のように、表層的な人気取りの為に、これらの「劇薬」を導入しないでほしいと望んでいた次第である。
その解決策として、荒木先生は、スターダストクルセイダースにて「双六」の原理を取り入れる。
トーナメント制と違い、個々の戦いにおいて、パワーのインフレ状態にはならず、 弱い敵という変則技も使え、様々な場面の展開 ( 試合会場ばかりの絵だけなく) や 様々な新しいアイデアも使える。
主人公たちは敵と戦いながら、最終相手となるDIOへと向かっており、マイナスにならないストーリー展開を導入したのである。
これは当時の漫画としては画期的で、トーナメント制が大半を占める中、少し年齢が上がってきて、大人に近づいてきてからも、ジョジョだけを読むようになってきたひとつの要因である。
多くの漫画作品に、自由な作風を奨励し、出版社の意向で、トーナメント制を導入しなかったら、今現在大人になってからでも、読んでいたのかもしれないが、この段階で多くの漫画を読まなくなってきた。
荒木先生のように、我々が大人になってからも読めるストーリーの長期的な視点を忘れ、目先の人気と短期的な利益を取ったと個人的にも気づいたときでもあった。
多くの漫画に、劇薬を導入させた出版社の責任もあるだろう。
「スタンド」とは「パワーを持った像(ヴィジョン)」であり、持ち主の傍に出現してさまざまな超常的能力を発揮し、他人を攻撃したり持ち主を守ったりする守護霊のような存在である。その姿は人間に似たものから動物や怪物のようなもの、果ては無機物まで千差万別である。参照:スタンド- Wiki
第三部については、スタンドの発明を忘れてはならない。波紋だけでは、能力が分かりにくく、能力が一種類だけで「飽き」が来てしまうことが予想される ( 当時の読者である私でもちょっと飽きが来ていた ) わけだが、新しい「超能力の可視化」に迫られていたのである。
そこで考案されたのが、後ろから「パンチが出てくる」というまさに天才的なアイデアであり、いろんなキャラクターが描け、アイデアが無限に展開できる手法を考案したのである。
スタンドの発明は、誰も金とは言わないが、金鉱脈を掘り当てたという心境を荒木先生が自らインタビューに答えている。
たしかに、約 30 年もジョジョを連載し続けることが出来たのも、この「スタンドの発明」がキラーコンテンツとして、世界的に人気となった原動力と言っても過言ではない。
ブランドにいちばん大切な「一貫性」を「スタンドというアイデア」で無限に表現でき、第三部より各部に、フルライン化され、連続展開されることになる。
西洋美術を取り込み、見えないもの「音と能力」を可視化し、世界観やライブ感を重視する
突破口を開くきっかけになったのは、「ジョジョ」の連載が始まる前に行ったイタリア旅行です。僕の絵の特徴を一言で言えば「ポージング」ということになるのでしょうか、それはこのイタリア旅行で得たものでした。たまたま、ローマのボルゲーゼ美術館にある、有名なベルリーニの「アポロとダフネ」というバロック彫刻を見て「ああ、これを漫画で描けたらいいなあ!」と思えたのです。この彫刻のようなねじれたポージングは日本の美術にはほとんどありませんし、これまでの漫画家があまり表現していないジャンルで、しかもいい意味での色気が出せる。それまでの修練で絵の基本はできていましたから、後は、イタリアで体験したことを取り込んで、自分の世界観のイメージを作っていけばいいわけです。参照:イタリアで自分の絵をつかむ
ジョジョの「ポージング戦略」については、非常に独特であるが、現在では、西洋美術から着想を得ていることは比較的有名な話である。
特殊なポージングを随所に導入することで、人々に長く記憶させることに重点が置かれている。
読んでいた当時は「どんどん奇妙で変な立ち方をしているな。関節どないなっとるねん」と子供ながらに不思議であったが、たしかに印象に残る。
多くの熱狂的なファンが「ジョジョ立ち」しているところを見ると、作者の戦略は明確に成功していることが分かる。
あと「擬音戦略」についても独特であり、ホラーやサスペンス映画に流れる特殊なBGMを参照に擬音を可視化することにも成功している。
余談であるが、個人的に、ジョジョの漫画を読む際は、洋楽をよく聴きながら、漫画を読むと世界観に浸れるし、たぶん荒木先生は、相当な洋楽好きということも、当時から理解できていた。
外国人を主人公とし、様々な西洋音楽や海外のミュージシャンなどの作中での導入は、当時の漫画家ではほとんどおらず、これも一種のタブーだったのだろう。それが現在では、大半が当たっているのである。
余談であるが、アニメ版、第 1.2 部のテーマについてであるが、オープニングの世界観は、私にはよく分からんアレな曲だが、エンディングテーマの「Yes – Roundabout :ラウンドアバウト 」の選曲は流石と言える。
当時世界で大ヒットしたのだが、学生時代、友人の兄から、テープを借りてダビングして、自前のテープ (古い) が擦り切れる寸前まで聴いた思い出があり、ジョジョを分かっている人の選曲と言うのが分かる。
もう中年になって、聴くこともないと思っていたが、イメージ通りの選曲で、学生時代を思い出して正直感動した次第である。
テーマは作者の哲学、人間賛歌は偶然の産物、売れるテーマは追わない
漫画に限らず映画や小説、テレビドラマでも、名作と呼ばれるものには、その背景に必ず強力な「テーマ」が存在しています。「テーマ」はストレートに表現されるものではなく、言ってみれば「影のリーダー」 的な存在なのです。 「テーマ」とはつまり、作者の物の考え方であり、自分がどう生きるべきか、ということです。それを作品の根本に据えて、ぐらつかないように心がけます。 参照:基本四代構造をつなぐ「テーマ」/「テーマ」とはぐらつかせない
ジョジョのテーマは「人間賛歌」であるが、深く考え抜いて出てきたのではなく、偶然の産物だという。たしかに始め聞いたときに「しっくりこなかった」という印象を持った次第だが、あとで突き詰めていったということなのだろう。
実は、「人間賛歌」は「こういうものを描きたい」と深く考え抜いて出てきたものではなく、ごく軽い気持ちで使った言葉でした。単行本一巻目の表紙見返しの「著者コメント」に「何か書くように」と言われて、その時、ふっと「人間って素晴らしい、ということを描こう」と思ったのです。その時は「機械で戦うような、ロボット漫画とは書きませんよ」という程度の意味だったのですが「人間賛歌」という「テーマ」で長年描いていると「ああ、深いテーマだなあ」と我ながら思います。参照:人間賛歌は偶然の産物
この強力なテーマがなければ、早期に連載は終わっていたかもしれないと語っており、普遍的で強力なテーマを持っていれば、作品の危機に対しても、乗り越えられるということであるが、同時にマーケットばかり見て、テクニックで「売れるテーマ」ばかり追うと、短期的に成功できても、長い目で見て、ヒット作品を作ることはできないと警鐘を鳴らしている。
「テーマ」はあくまで自分の人生に沿っていることが重要です。「テーマ」を決める時に絶対にやってはいけないのは、自分では大して興味がないのに、世間に合わせて「テーマ」を設定するやり方です。売れている漫画の「テーマ」を自分の「テーマ」に持ってくると、ブームが去った時、元々興味がなかったのですから、「自分は何でこれを描いているんだろう」という壁にぶつかってしまいます。ものすごく頭のいい人が、この本に書いてあることを参考にし、読者に人気のでそうな魅力を全部かき集めて漫画を描いたとしたら、その人の計算通りにヒットする、ということはあるかもしれません。けれども、それが続くのは短い期間で、せいぜい持って三年です。 参照:売れるテーマから考えるのは間違い
恐らく、ヒット作をつくる効果的なノウハウが書かれた本書を参考に、自身の作品づくりに取り入れている人もいるだろう。もうすでにジョジョの二番煎じの漫画もすでに出てきているかもしれない。
ただ、荒木先生の手法を真似ても、見る事はないだろう。作者自身のオリジナリティーがなければ、見る価値はないからである。
仮に計算どおりに世間でヒットしても「何かが違う」と「作った本人」は後悔する可能性も高く、世間に媚びた作品を作り続けると、段々と世間からの評価も落ちて行くことに気づいても、時すでに遅いのである。
DIOが承太郎に、ザ・ワールドで時を止めた上に、絶対に逃げれないように ( 脱出不可能にして ) ダメ押しで「ロードローラー」をぶつけ確実に殺しに来るアイデアなんて、いくら他人が同じような作品を作り計算しても、生まれてこないわけだし、おそらく荒木先生だけの奇抜でオリジナリティ溢れる戦い方でしか、私たち読者は納得しないだろう。
アイデアは尽きない、 自分と違う意見に興味を持ち、描いたものは忘れる
いつも自分の周りで見聞きしたことで「面白いな」と思ったことをメモしておき、 アイディアノートにまとめる習慣を続けています。ただ「面白いな」と思っても、その場ではメモを取りません。後になって「何を面白いと思ったんだっけ」と忘れてしまうこともしょっちゅうありますが、忘れるものは大して面白くない、と考えているのでそれほど気にしません。本当に面白いものであれば、そのうち思い出すに違いないからです。参照:自分と違う意見に興味を持つ
常に何かに興味を持つことができて、周囲の出来事に素直に反応できるアンテナを持ち続けられるのであれば、「アイディアが尽きる」ということはないはずです。この「素直に」ということを心がけるようにして欲しいと思います。「自分が興味があることはこれだ」と限定して、そこから外れたものを無視するという自惚れは絶対に NG です。もし「何かネタを探さなければ」と苦痛になることがあれば、それは僕が漫画家をやめる時でしょう。 今のところ、 アイディアノートに書くことが尽きることもなく、漫画家を続けられるのは幸運だと思っています。参照:アイディアは尽きない
最後に発想法やアイデアの話、描いた作品に対する内容を簡潔に記されているが、漫画というものは、描く人の心から湧き上がる情熱が描かせるもので、何が正しい、などと証明できるものではないという。
名作を作るためのマニュアルは存在するかといえば、そういうことではないだろう。 しかも、荒木先生の方法がすべて正しいとは限らないのである。
描き終わった瞬間は達成感がありますが、僕は常に「描いたものは忘れる」というスタンスで、過去を振り返りません。たとえ「良い作品が描けた!」というような時でも、その感覚をすぐに忘れるようにしています。もし「自分は傑作を描いた!」と満足したら、次に何を描くかというアイディアが生まれなくなってしまうと思うからです。 同じ理由で、人から褒められてもそれを本気にはしません。褒められて伸びるのは子供だけで、むしろミスや失敗から次の作品へのヒントをもらい、描き続けられるのだと思います。参照:描いたものは忘れる
本書の中では、そのことに触れつつ、自分なりの「黄金法則」を作り上げ、さらなる新しい作品づくりや、このノウハウを踏まえて、パワーアップした作品制作を行うだとか、これと正反対のノウハウを無視した作品をつくるとか、本書によって様々な方法で、創作物を生み出すことを目的に書かれた本である。
本書ではノウハウを余すことなく公開しつつ、コレがすべて正しいという事を言いきっていないところに、荒木先生の良い人柄と謙虚さを感じる。
上記アニメでは、とある漫画家が、漫画で予言が出来るスタンド使いと遭遇し、不慮の事故死をするシーンがあるが「自分にも厳しい」と思える瞬間でもある。
常に何かに興味を持つことができて、周囲の出来事に素直に反応できるアンテナを持ち続け、子供のような好奇心を持ち続けているがゆえ、同世代の人よりもすごく若くみえる。
今回取り上げた内容は一部であり、本書ではさらに膨大なノウハウが公開されている。作者なりの膨大なノウハウを積み上げることで「全ての物事がしっくりいく」瞬間があるという。作者は、これを「黄金の道」と呼んでいる。
本書は、あなた自身の道を探し発展させるための「地図」であり、あなたが仕事や創作に迷い、行き詰まった時に、あなた自身の「黄金の道」を歩くための最適な書籍となるであろう。