Daijiro/加藤大治郎:子供たちに走る喜びを提供するミニバイクの高級ブランド
3歳の誕生日に両親からポケットバイクをプレゼントされたことをきっかけに、自宅近くのサーキット秋ヶ瀬に通うことになる。武田雄一、亀谷長純(従兄弟)、阿部典史といった後のロードレースライダーが秋ヶ瀬に集っており、大治郎は彼らと競うことで腕を磨いていった。秋ヶ瀬のオーナーの息子であり、後のフォーミュラ・ニッポンチャンピオンとなる本山哲を兄のように慕っていた。11歳のときにミニバイクレースにステップアップ、連戦連勝を誇った。参照:wiki-ポケバイ・ミニバイクレース時代
加藤大治郎モデル “74Daijiroミニバイク” は非常に高いリセールを誇る
シーズン開幕戦、日本GP(鈴鹿)予選は好調といえない状態で11位。決勝ではまずまずのスタートをきり、4位争い集団につけた。3周目、130Rの立ち上がりでマシンが左右に激しく揺さぶられ、コントロールを失い、立て直そうと試みたもののその先のシケインのスポンジバリアに激突した。発生から激突までわずか2秒ほどであった。意識不明の状態が2週間ほど続いたが、4月20日未明、脳幹梗塞のため夭折する。26歳。参照:wiki-加藤大治郎 2003年
若くして夭折した加藤大治郎氏の遺志を継いだ母親である加藤初美氏が代表を務めるブランドである。加藤大治郎が世界選手権に参戦している時から抱いていた「子供たちにレースの楽しさを伝えたい。
そしてその子供たちの中から世界チャンピオンが誕生してほしい」という遺志を継承したブランドであり、非常に人気ブランドである。
幼少期からミニバイクレースで連戦連勝を誇る天才的プレイヤーであった加藤氏。そのモデルを継承した「74Daijiro」の企画・製造・販売と「74Daijiro」を使用した“DAIJIRO-CUP”の企画・運営を主に行っている。
加藤大治郎をサポートする唯一の公式企業であるミニバイクの高騰ぶりはやはり驚くべきものである。さっそくオークファンを見ていこう。
市場では比較的リセールバリューの高いモデルに人気が集中している。新車とほとんど変わらない取引状況である。
そのまま飾っていても美しいモデルが多く、コレクションでも遜色はない非常に美しい車体である。
比較的新しいモデルの方が高い事は理解できるが、加藤氏と同じ車体デザインであるモデルも非常に人気である。
ポケットバイク市場は、ブームの終了によりレース人口の減少、サーキットの閉鎖等による環境の低下、ベース車両の生産終了などに伴う競技人口の減少が指摘されているが、逆にそれが希少性を生み、本体への取引は活況である。
ポケバイ 74Daijiro 未使用
ポケバイ 74daijiro 車両本体 加藤大治郞
スーパーミニバイク◆ポケバイ◆74Daijiro◆
日本での知名度は低いが世界での知名度は非常に高い天才的プレイヤー
個人的に、幼少の頃、ポケットバイクレースに何度か出場した事があるが、まったく勝てず、すぐに退場してしまったわけだが、比較的バイクレースは観戦している。
最近は、地上波や衛星でも番組は少なく、非常に寂しい限りであるが、車体の安全性が問題視された事や事故の観点上、子供をレースに興味を向ける事すら問われる事が多い。
純粋にスピードを楽しむ本当の経験は幼少の頃の得がたい経験であり、ゲームなどのバーチャルな虚無感に囚われる事なく、非常に忘れがたい良い経験となっている。
比較的海外では、レースは盛んであり、日本のモータースポーツの盛り上がりよりもさらに大きく、社会的地位や知名度も高い。
若くして夭折してしまった事は、誠に悲しむべき事であるが、74Daijiroを通じて若い子供達に「走る喜び」を提供している事で、亡き加藤大治郎氏も喜んでいる事であろう。
参照:Daijiro.net 加藤大治郎公式 Website
参照:有限会社デルタ・エンタープライズ