人間の飽きやすい特性から破られてしまう一貫性
私たちは、長く同じことをすると「飽きてしまう」ということがしばしば見られるが、頻繁に破られるのがこの「一貫性」である。個人も含め、ブランドとは何かを表すものでない限り、人々のアタマの中に入ってはいかないものである。
ありがちなのが、ブランドが一定の地位を占めてしまうと、その途端「商品並びにサービス」などを変更する理由を考え、次の成長の為と簡単にブランドを変えてしまうのである。時代や市場の流れが変わっているので、私自身(ブランド)も変わらないといけない。と考えるのである。
たしかに時代や市場の流れは変わるかもしれないが、ブランドは変えるべきではないだろう。本質的な特徴は、断じて変えるべきではない。
例えば、あなたが「最も自分らしい」仕事 (天職) をし続ける中で、時代の流れが変わり「用のない仕事」として世間に見られた場合、アッサリと自分の仕事を放棄してはならない。
あなたの本質的特徴に沿わず、働く基準を変えても、長続きせずに、多くは頓挫することとなる。自分本質的特徴 (ブランド) を変えず、隣接分野を攻略すべきである。
ブランド構築は根気のいる仕事である。遠回りに見えても最も近く成果が上がるのは、長期に渡る首尾一貫性を保った時である。
BMW は、現在までその戦略を堅持して、究極の「ドライビング・マシーン」として君臨し続けている。メルセデスやワーゲンのように、極端なフルライン化に走らず、たまに四駆やワゴンなどブランドイメージを損ねるラインが出ているが、多くのブランドと違い、一定のラインを守って成長を遂げている。
BMWでさえ「一貫性の法則」を守る事に苦労していることが分かり、セグメントのシェア獲得に、あまり成功しないモデルを市場に投入してしまうのである。
人は安定してそのこと自体に「飽き」が来ると、新しい可能性を求めて、新しいカテゴリーを求めていく。これは非常にマヌケなやり方であり、しかもブランド自体が確立されていないにも関わらずである。
成長しているように見える新しい市場が、美味しく見えてしまうのは、どの業界も同じであり、個人においても「隣の芝は青く見える」ものである。
だが大抵は、自慢や虚勢を張り、良いところしか見せないものである。隣の芝を青くしているのは、その個人や企業の努力であり、自分たちが参入しても、芝は青くないのである。
多くの人は天職を続ける事が出来ない それは時代の変化が早く仕事がすぐに無くなるからだ
ブランドを構築するのは、何十年単位も掛かる事であるが、あなたが勤め人の場合、多くの企業は、あなたのブランドを築く前に、企業の寿命が来てしまう驚くべき時代に生きているということを認識しておく必要がある。
あなたが極めた技術やスキルなどは、10~20年を経てば、あっという間に IT や ロボットや VR などに置き換えられるかもしれない。
現在は、驚きべきスピードで人の寿命より、企業ブランドの寿命が短いという逆ザヤの中に多くの人々が巻き込まれている。大抵の方が、大企業以外の中小企業に勤務されている方々が多いが、あなたの仕事が突然無くなるという事例は、他人事ではなくなってきているのである。
あなたが勤め先以外に、収入の保証が出来なくなってからは遅いのである。その場合には、あなたの個人戦略、ブランディングが必要となってくる。
個人がブランドを確立していれば、あなたが生きている限りブランドを続けることができるのである。
いちばん大事な事は 「あなた自身がブランドとして真の自立ができる」 ということが大事なのである。
あなたの勤務先は、業務範囲以外は、何も残してはくれないのである。あなたが、真に頼るべきは「自分への信頼、すなわちブランド」なのである。
私が何度も、この分野に投稿しているのには意味があり 「あなた自身の真の自立」 がこのブログのコンセプトのひとつであるからだ。
心と経済的余裕が無ければ、ブランド品など選べないであろう。選ぶことのできる人は、余裕のある人以外ありえないのである。
ブランドとは、使用している自身のパーソナリティを表す為に用いられる。あなたがどんなバッジを選択するかで、周りの友人・隣人・職場の同僚・親戚や家族など関わる人々に、自分自身に対してどう見られたいかによって決まる。
人は成長するにつれ、しばしば自分の見せ方を変えたがる。ブランドを変えて自分の成熟ぶりを示したいと思うものである。
あなた自身がブランドであれば、見せ方や成熟ぶりを示す事も必要なく、他のブランドに頼る必要もなく、堂々と生きていくことが出来るが、一貫性が無ければ、生きる手段の為の”築いたブランド自体”も使う事が出来なくなる。
あなたが一生を掛けて極めたいもの、飽きない (商い) もの、なんでもいい。それをブランディングすれば良いのである。
参照:ブランディング22の法則