地方財閥を取り上げることで地方経済の活性化のひとつのヒントとして考えるキッカケとしたい
家業。実に多くの人々が創業し、そこで商売を行い、多くの顧客に優れた商品やサービスを届け、利潤を上げる優れた資本を持ちたいと願うものである。
現在では、縁もゆかりもない新卒一括採用や各種転職用サイトなどを使い、比較的多くの企業に就職や派遣やアルバイトなどを行い、資本家の下で仕事をしている人が大半である。
資本家の下で、修業のために実務を学び、将来自分の商売を持ちたいことや、その企業で出世し、事業を大きくすることを望む前向きな志望動機であれば、資本家の下で働き、勉強するのはとても良いことである。
そのような意味で言えば、現在人手不足で悩んでいる地方の中小や零細企業に就職するのも悪くはない。
ただ、資本主義化で働くという純粋な意味で見ていくと、いちばん効果的なのは、生まれた家の家業や自分で興した事業を大きく成長させ、一代もしくは数代で、独占的出資による資本を中心に結合した巨大な経営形態、所謂「財閥 」を築き上げることである。
日本人が身近に感じている多くの商品が、あの地方財閥が経営している企業であり、地方の勢力が国内並びに世界で、ブランドを展開してきたかその着眼点をまとめておきたいと思った。
参照としたのは、【日本の地方財閥30家 知られざる経済名門 】という書籍を参照としている。
日本全国の地方財閥をコンパクトに網羅しており、地方の財閥・資産家をバランスよく選び出し、何代何十年もその地域の高額資産を誇り、地方経済で無視しえない家系を地域・事業に分けて紹介している。
今回は、個人的に近代の歴史が弱いことから、歴史・文化系のライターの鏡吾妻さんの執筆協力と歴史考証を得て、普遍的なノウハウをまとめてみた。
鏡吾妻さんとは、どの時代のテーマを取り上げるか、いくつかのディスカッションを重ねながら、海外のブランドを多く取り上げている当ブログで、本国日本のブランドを取り上げていけばどうかという話が持ち上がった。
江戸時代から明治~現在までの財閥というブランドを作ったが、大手の財閥にはない地方の資産家の方がより面白いのではという自分としての考え方が根底にあった。
もし、あなたが就活生であれば、就職を考えている地方の企業が、いかに作られたかを調べることに丁度良いし、ビジネスマンであれば、あなたが抱えている新規事業や既存事業で、取引先の方が財閥系の企業の関係者かもしれない。
また創業を考えている人であれば、ビジネスモデルの構築や事業成長のヒントとなるであろう。ご興味のある方は一読して頂きたい。
1. 時代の風向きを予測し、大きなリターンを求め高いリスクをとる
本書では、近現代における地方財閥の動きが中心ではあるが、その前段階として幕末期の創業者の動きについて一文程度ふれられている。
例えば、江州(滋賀県)系財閥の伊藤忠商事の創業者・伊藤忠兵衛は長州藩(山口県)の馬関で「命がけの大商い」を行ったとある。
幕末期において、長州藩は「朝敵」、すなわち江戸幕府や朝廷から討伐されるべき相手と見なされていた。
現代の感覚で言えば、テロリストのような扱いである。しかし忠兵衛はあえて、火中の栗を拾うがごとき姿勢で死地に飛び込んだ。
もし、長州藩が根こそぎ幕府に弾圧されていたら忠兵衛にも罪科が及んだことは言うまでもない。普通に考えるとリスクしかない事業である。
しかし、長州藩が新しい時代の中枢になると忠兵衛が予見していたならば話は変わる。戦地での商いによって、長州藩との関係が深まれば、時代が変わった後に得るリターンはリスクよりもはるかに高い。
結果として、長州藩を中心に明治維新は実現され、その後の西南戦争においても忠兵衛は大活躍した
このように、江戸時代の終焉と明治の始まりを予見し、一見リスクしかない商売を展開して、長期的な利益を得たケースが本書では見受けられた。
こうした幕末期の動乱を乗り越えた地方財閥の創業者は、後の経済情勢の変化にも柔軟に対応している
大事なポイントは、当時はスマホもパソコンもなく、情報収集が非常に困難であったことだ。
おまけに嘘の情報も錯綜する中で、幕府の崩壊や長州の台頭を予見したものは極めて少数派にすぎない。そういう意味でも忠兵衛の商売が命がけであったことがわかる。
2. 不況にこそ機会が、好景気で成長するための準備を怠らない
近代にも当然、日本経済を左右した景気と不況が潜在する。1870年代末から80年代前半の不況「松方デフレ」がある。
また、1880年代後半の「インフレ好況」も去ることながら、1894年の日清戦争や1904年の日露戦争は、景気の波をより際立たせた。
特に、1895年からの日清戦争での勝利にともなう戦争の好景気やその後の大戦の好景気には、恩恵を受けた地方財閥も多い。
日本の大きな財閥も、戦争によって巨万の利益を得た企業も多いのである。
例としては、東京電燈株の買い占めを行った根津嘉一郎、東京進出を行った中京(名古屋)系財閥の瀧兵右衛門など新事業を展開した者も少なくない。
ただ、こうした好景気に向けて行われた大きな事業展開は、不景気で拡大がままならない状況下での企業努力がカギを握る。
阪神財閥の白嘉納家は、製造していた日本酒「白鶴」が日清戦争をきっかけに軍用酒として大ヒット、販路は拡張され、莫大な利益を得た。
しかし、その前段階として、松方デフレ政策であるインフレ収束のため意図的におこなった緊縮財政で、経済が冷え込んだ際に、ビン詰めの日本酒を開発するなどの企業努力を行ったことを忘れてはならない。
何も努力していない状態での好景気が来ても恩恵は来ない、不遇な時代での自己研鑽こそ、後の飛躍を生むのだ。
3. 臨機応変な対応を心掛け、刻々と変化する世界の潮流の先を考え行動する
また、近代という時代は、海外から輸入されたさまざま職種が発展する時代である。
明治政府は「殖産興業」をとなえ、欧米列強から吸収できるものは全て取り入れた。その時代の変化を読み誤った企業は、資本主義経済という巨大な渦の中に淘汰されたのである。
炭鉱をきっかけに発展した九州系財閥の貝島家、麻生家、安川家の三家はそれを如実に表している。
貝島財閥は、炭鉱事業に拘ったがゆえに石油産業に台頭によって衰退した。
麻生財閥は、徹底した「リスク分散」を行い、電気、石灰、セメントなど時代に応じて多岐にわたる事業を展開し、政界進出を行うまで経済力を保持。
安川財閥は、九州のインフラに積極的に投資し、今や九州財界のまとめ役になった。炭鉱という同じ出発点であっても、その後の事業展開で栄枯盛衰が決まった。
ただ、どの家も生き残りを掛けた日々の戦いの中で、世界的な潮流を読みながら、ローカル (自分) に落とし込んで、いかに行動するかが重要である。
その当時、最善と思われた経営戦略が、後になって歴史が証明したのである。
どんな権力者であろうと財閥の人間であろうと、私たちと同じく未来がどう進むか誰も分からないのである
地方財閥もそうだが、様々なビジネスを行う企業の大半は、地方経済や政治力を使っても、景気を動かす力は持っていないという事である。
ある特定の分野のブームを起こすことを出来ても、日本国全体の景気を動かすのは、やはり政府が主導的に動かなければ無理な話である。
よって、政府の動きを常に観察し、政府が向かいたい方向に上手く軸を合わせ、その少し前を読むことで、時代の波をある程度は掴むことが可能である。
地方で財閥となったいくつかの資産家においても、政府の動きを見ながら、常に景気の変動に正しく対処することで、自身の家の繁栄を続けていった。
私たちが住むその地域の資産家のビジネスの恩恵は、現在でも直接的にかつ間接的に受けているのである。
そんな小さな私たちも、その大きな波を感じ、地方に波及する小さな波を生かし乗る事で、一般的な個人でもある程度の力を持つことができる。
人よりも一歩先をみることが、企業にとって重要であることは、多くのビジネスを行う個人にとっても重要なのである。
今回取り上げた近代の人々は、基本的に情報化がされておらず、大半の人が正確な情報を持っていなかったに等しい。
ただ、彼らと同じ立場で考えることができるのは、少し未来への予測であり、あなた自身の未来の計画なのである。
現在に置き換えて考えていくと、これから数年で起こりそうなブームや需要を考えていくことから始めると良いと思う。
あなたの関わる仕事や業界で、そのような近い将来起こりそうなブームや需要を見つけ、今のうちから素早くとらえることができるように準備をしておくと、あなた自身の成長にもつながり、大きく飛躍する条件を備えることができる。
そのスタートラインたる条件を持つことが出来て、初めて実力を発揮できるというものである。
そして、それを見つけた人は、誰にも気づかれないあなた自身の金鉱脈を人より先に掘り進めれば良いである。
そして世間がそれに気が付いて、結果的に一歩先を行くことになり、あなたは有利な条件と果実を手に入れることができるのである。
鏡吾妻 (かがみあずま): (条件 1~3) 執筆協力 / 時代考証 ~ 小学校の図書室にある歴史漫画がきっかけで、歴史好きになる。国立大学の教育学部を卒業後、2年間私立高校の社会科教員として教育に従事。現在は会社員の傍ら、歴史・文化系のライターとして活動。月間15本以上の記事をwebサイトに掲載。