地方財閥矢部一族 と 鍋島奈央子
AdSense
清水官兵衛 三代目が、私たちに見せた本物とされる懐中時計。私たちは清水氏の保有している懐中時計を隅々まで調べ尽くした。夢咲堂に引き上げた私たちは、鑑定した資料をまとめながら、前日の帰りの道中、クルマの中で、私は綾君との話した内容を思い出していた。
「まさか、本当に持っているとは思ってもみなかったな。」
「ええ。製作したのは、どうやら清水官兵衛 (初代) で間違いなさそうですね。あの 中井貴一 の勝ち誇った顔…。」
言葉少なめであるが、綾君から緊迫した雰囲気が伝わってくる。思わず運転の手を止め、膝を突き合わして話をしたい気分である。そこをグッと我慢をして運転を続けた。
「ただ、なぜふたつも製作する必要があったのか。この件の真相はその部分にありそうな気がします。」
「ああ。同感だ。あんな複雑なトゥールビヨンを二つも作るなんて、相当な根気と執念、もちろん高度な技術力が必要となる。」
「しかも、両方同じと仮定すれば、両方とも本物という事になる。製作したのは 両方とも清水氏…これ以上何を真贋すればいいのか、話が見えなくなってきました。」
「まさにその通りだよ。この件の難しさは、両方同じ物として間違いはなさそうだが、どちらに ” 未だ謎になっている本物の証 ” があるのか探し出す必要がありそうだ。どちらがより本当の価値を持っているか、その決定的な証拠をつかむ必要がある。」
「おのれ、中井貴一め。必ず成敗してくれる。」
綾君は、その美しい顔面の眉間に深いシワを寄せ、左側の風景を見ながら、時代劇の主人公が口走りそうな低く渋い声で、清水氏に恨み節をつぶやいた。最近何かの時代劇でも観たのであろう。
「なあ、そろそろ…中井さんで清水氏を例えること止めにしないか。」
私のお気に入りの愛車 ” W 186 ” は、今日も軽快な足回りで、夜の高速を颯爽と駆け抜けた。
鑑定資料の作成に、一日半を要したが、清水氏が保有している懐中時計の件とその調査報告書を持って、私たちは、鍋島奈央子の勤務する博物館に出向いた。私の愛車で、綾君と共に、優雅にひと時のドライブを楽しみながら、矢部銀次郎記念博物館に到着した。
博物館は、宝塚の中心街を抜け、田園風景の美しい地域にある。その地域一帯を保有し、中心部に大きな屋敷と蔵があり、それを西洋風に改装して作られていた。私は、博物館中央広場にクルマを停め、その建物の大きさに圧倒されてしまった。
「思っていたよりもデカいですね。」
「さすが大富豪。この視界の範囲すべてが矢部家所有の敷地だという。」
私が調べたところによると、矢部一族は、戦前に東京で事業を創業し、日清・日露の戦争景気で財を成し、第二次世界大戦後の荒廃している時代に、関西に基盤を移し、持っている財力を背景に、この地域を安価に買占め、左側に見える小高い山の向こうに側に巨大工場を建設し、生産力を飛躍的に高め、さらに安価で優れた機能を持つ意欲的なモデルを次々に投入し、それらを海外市場に広げ、事業を発展してきた。なぜこんな人里離れた田舎なのか。それは時計づくりに必要な環境である空気が澄んでいて、豊富で綺麗な水源を抱える環境が必要だからである。スイスで時計づくりが発展したのは、そうした環境が背景にある。
また一族は、矢部銀次郎を中心に、三人の息子がいる。母親は、ある貴族院 (華族) を務めた由緒正しい家の出で、生まれながらの富裕層である。その夫婦の間に生まれたとされる、長男の純一郎、次男の順次郎、三男の憲一である。当然ながら三人は、幼少より乳母に育てられ、母親の面影はあまりないと、後年次男の順次郎氏は語っている。
長男の純一郎は、第二次世界大戦で出征し、若くして戦死しており、次男の順次郎が跡を継ぎ、戦前から戦後の混迷期に、順調に事業を発展してきたが、海外視察中、不慮の飛行機事故で亡くなっており、その夫人に子供らしい子は生まれず、後に離婚しており、三男の憲一のみが矢部家の正統な跡取りである。
ただ、その憲一も幼い頃より病弱で、五十代前半にも関わらず、寝たきりであり、人工呼吸器が無ければまともに生きていくことが出来ず、現在では、ほとんど意識のない状態が続いており、余命いくばくも無い。とても事業の舵取りはできず、銀次郎氏が抜擢した経営陣の末裔、その一族で固められ、財団も経営陣が選定した人材で固められていた。
ネット全盛の時代に、矢部一族について検索を掛ければ、簡単に情報を収集できると思っていたが、長く一族についての情報は伏せられ、その財力と政治力で、情報は一般的に公開されることもなく、実のところ調べた情報も正確かどうかわからない。
私たちは、周りを見渡しながらしながら西洋風の博物館に入っていった。正面入口を入ると、大きな吹き抜けのエントランスホールとなり、正面のガラス張りの開口部の向こうに大きな中庭が見える。また、左右に長い廊下が続き、中央の中庭を囲み回遊できる設計となっているようだ。案内板を見ると、設計では左側中央部あたりが、学芸員室、事務やスタッフ関連の部屋、倉庫などの収蔵スペースとなっているようなので、左側の廊下に進むと、そこには矢部家の歴史が分かる数々の写真や絵が壁一面に飾られ、一族の肖像画や家族の集合写真、出資者や多くの有志、従業員や女中たちの写真の後に、数々の開発された製品が、ガラスケースに綺麗に陳列され、一代で地方財閥を築いた矢部家の繁栄が一目でわかるように展示されている。
「なるほど。これが、地方財閥矢部家の一族か。」
私たちは足早に鍋島奈央子のいる事務室を目指し、廊下を進んでいったが、綾君はある一枚の写真に釘付けとなった。それは非常に古い写真で、正月か記念日を家で楽しむ矢部家の一族と従業員、女中や乳母などが何かしらのゲームに興じている写真であった。一瞬、綾君は歩くことを忘れ、立ち止まり、私との距離が大きく離れてしまったが、足早に私の後に続き、廊下を進んだ。
学芸員室前で軽くノックしたが、左側壁面に監視カメラ、ドア右側にインターホンとセキュリティロック用の暗証番号を入れる機械が設置されている。インターホンから、鍋島奈央子の声が聞き取れ、入るように促された。電子ロックが自動的に解除され、ドアを開け部屋に入ると、大きな収納棚が壁一面に設置され、所狭しと遺品が隙間なく収納され、中央部にも規則正しく収納棚が五組設置されており、そこにもおびただしい遺品があふれ収納されている。
また、中央は棚を切り分け通路となっており、通路を抜けると応接セットがあり、その向こう側に大きな事務机、前後左右に大量の本が積み上げられ、机左側側面にPCのディスプレイが二台並んでおり、一台には博物館中に設置された監視カメラの映像が九分割で写し出されおり、すでに敷地に入ったところからカメラで監視されていたようである。そのハイテクとローテクが混在した指令室のような机の向こう側に、鍋島奈央子が座っていた。鍋島奈央子は、机の上に飲み掛けのスパークリング・ウォーターを置き、色彩資料のような本を広げて仕事をしており、何かしらのリストを作成している最中であった。
「あら、お二人ともお揃いで。なにか進展はありましたか?」
何もかも知らないような艶やかな声で、カタログを見ながら私たちに問いかけた。
「お久しぶりです。奈央子さん…先日メールでお送りした内容はご覧になりましたか。」
私は、舞台装置のような鍋島奈央子の「驚異の部屋」に圧倒されながらも、言葉を慎重に選びながらも、鍋島の反応をうかがった。
「ええ。拝見させて頂きました。状況は極めて良くない方向に進んでいるようですね。まさか…清水さんがもうひとつの懐中時計をお持ちになられていたとは。あの男…私のこと快く思っていないようだけど。」
鍋島は、読んでいたカタログを静かに机の右側に置き、立ち上がって、応接のある椅子に座るように左手を差し出した。
「これが鑑定した調査報告書です。」
私は椅子に座る前に、机の前にいき、調査報告書を鍋島の目の前に置いた。そして、静かに椅子の前に行き着座した。綾君は、そのあとに私の右側に静かに腰を下ろした。鍋島は、クリアーファイルから鑑定資料を取り出し、調査報告書をパラパラとめくり、一読すると私たちに問いかけた。
「さあ、どうしましょうかね。」
鍋島は、この調査報告に驚いたようで、言葉の最後あたりがうわずって聞こえるが、平静を保つのに必死なのであろう。
「私たちとしては和解を提案します。あの懐中時計は、矢部時計製作所時代に、矢部銀次郎氏の指示の下、当時の開発陣であった清水官兵衛氏が主導して、二つの懐中時計を製作。ひとつは矢部氏、ひとつは清水氏が保有し今日に至るとして、財団側から過去を清算する意味で、和解金と清水氏が保有している懐中時計の買取を行い、その後の公表の方法を後に協議するということです。」
私は、最善と思われる提案を鍋島に返答した。おそらくこの案が現状においては最善であり、財団の豊富な財力があれば、この件に関して上手く終息に持ち込むことができると考えたからだ。
「なるほど。夢咲堂さんの言い分は分かりました。財団の上層部に…この案を持っていこうと思うわけがないでしょう。」
鍋島は、冷静に答えたつもりだろうが、はっきりと怒りの表現が聞き取れる声で、私たちに挑発するように返答した。
「第一、私たち財団がなぜ、あんな修理会社に多額のお金を支払う必要があるのか理解に苦しみます。矢部銀次郎が、製造所内で開発の指示をしているのであれば、あの懐中時計は、矢部の資本を使い製作したことになる。ここにある懐中時計も、清水の下にある懐中時計も、私たち財団のモノではないですか。」
そう言いたくなる気持ちはよくわかる。多額の和解金を用立てするのは、鍋島一人の判断ではできず、必ず財団関係者並びに、矢部の事業に関わる経営陣一族の説得をしなければ、この案は実現しないであろう。
「とりあえず和解案は、私の元で留め置きたいとおもいます。正直に申しますと現状の案では納得できません。もう一度洗い直し、再度調査報告書にまとめてご提出願います。」
鍋島は、広げた調査報告書をクリアーファイルに入れなおし、机の右側中央の引き出しに書類をしまった。引き出しを閉じ、上着のポケットからいくつかの鍵が付いている鍵の束を取り出し、そのひとつで鍵を掛け、そのまま立ち上がり、右後ろ側にある大きなキャビネットの前に立ち、再び鍵の束を取り出し、その中のひとつの鍵でキャビネットを開けて、あの懐中時計を取り出し、私たちが座っている応接用の机に静かに置いた。
「私もあれから調べてみていくつか分かったことがあります。」
鍋島は、懐中時計を置いた後、静かに応接用の椅子に座って、再び話を続けた。
AdSense
「まず、最初にこの化粧箱、時計を収納するには少し大きすぎると思っていました。当時はモノがあまりない時代なので、致し方ないのかなと思って気にも留めませんでしたが、発想を逆転して考えると、上蓋の裏側が外せるように、最初からある程度の大きさにしておく必要があることが分かったのです。」
鍋島は上蓋を掴み、裏側中央にある小さな ”くぼみ” に爪をあて、裏蓋を外してみせた。裏蓋は、木製となっており、外装のスエード面の縁が切れたところに、アルミでラインを入れエンド処理された内部は、中央部分に木簡が収納できる平らな面となっており、明らかに二重構造となっている。私と綾君は、その裏蓋を覗き込むようにみつめた。裏蓋に収納されている木簡にはこう書かれていた。
– 瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の われても末に 逢はむとぞ思ふ -
鍋島は、立ち上がり歩きながら木簡に書かれている言葉を暗唱した。
「この意味わかりますか?」
私は古典教養について疎く、言っている意味すら分からなかったが、綾君は、瞬時に意味をとらえ、鍋島にこう告げた。
「誰と誰が別れてしまったのか見当がついているのですか?」
鍋島の口角が少し上に傾き、一瞬笑っているように見えたが、再び大きな事務机にある専用の椅子に座り、スパークリング・ウォーターで喉を潤し、音を立てずにグラスを置き、再び話しはじめた。
「それが分かれば、あなた方に依頼なんかしません。ただ…ここにある時計が確実に本物だと思うわ。フフ…女の勘よ。」
私は、話を完全に見失い言葉が出なかったが、綾君は再び話し始めた。
「エントランスを抜けた長い廊下の壁に、たくさんの写真が飾られていましたが、ある写真が妙な感じに見えたのですが教えてください。」
鍋島の顔が急に険しくなり、綾君をまっすぐ見つめたかと思うと、すぐに微笑みを浮かべ、もたれ掛かっていた椅子から背を離し、美しい姿勢で両肘を机に置き、両手を軽く組んで、綾君に静かに返答した。
「ある写真とは…どの写真となりますか?」
「廊下の壁の三番目にある正月か記念日を家で楽しむ矢部家の一族と従業員、女中や乳母などが百人一首に興じている写真のことです。」
鍋島は、再び険しい顔を一瞬見せたが、瞬時に微笑みの顔に戻り、丁寧で艶やかな声で答えた。
「妙な感じに見えたのであれば、それが真相なのかも…さあどうかしら。この話はこれでおしまい。ところで佐伯さん、調査のために、この懐中時計と化粧箱は、あなたに一時的にお貸ししておきます。」
「それはありがたいですが、この和歌を見つけたからといって、それが本物の証拠となるか分かりようがないと思うのですが。」
私は少し考え込み、ぼんやりとしていて、面を食らってしまったが、鍋島の言葉で我に返り、気づかれないように瞬時に答えた。
「佐伯さん。なかなかの男前なのに、意外と女心が分かってないのね。」
鍋島は、再びグラスを右手で取りながら、残っていたスパークリング・ウォーターをすべて飲み干し、私たちをみてこう告げた。
「もう…このあたりでお引き取りを。真相が分かったときに、またお越しください。いつでもお待ちしております。」
鍋島は、座っていた椅子を足で軽く正反対に回転させ、私たちに背を向けて、沈黙を貫いたまま何も語らずに、静かに私たちの帰りを待ったのである。
4 に続く
※掲載している小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
※掲載している小説の著作権は作者にあります。
※作者以外による小説の引用を超える無断転載は禁止です。行った場合、著作権法違反となります。
※Reference images in this article are Pixabay.