【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点
Source :Google Maps / Mizkan Official

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点

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脈々と受け継がれる事業で潤い続ける代々の富裕層

 

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点
明治21年(1888年)の新聞広告:出展ミツカン社史より

 

家業。実に多くの人々が創業し、そこで働き、多くの顧客に優れた商品やサービスを届け、利潤を上げる優れた資本を持ちたいと願うものである。

家業を大きく成長させ、一代もしくは数代で、独占的出資による資本を中心に結合した巨大な経営形態、所謂「財閥 」を築き上げた人々がいるのをご存知であろうか。

今回は、日本人が身近に感じている多くの商品が、あの地方財閥が経営している企業であり、地方の勢力が国内並びに世界で、ブランドを展開してきたか取り上げておきたい。参照としたのは、【日本の地方財閥30家 知られざる経済名門 】という書籍を参照としている。

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日本全国の地方財閥をコンパクトに網羅しており、地方の財閥・資産家をバランスよく選び出し、何代何十年もその地域の高額資産を誇り、地方経済で無視しえない家系を地域・事業に分けて紹介している。

それぞれ家業を発展し、どうブランドとして作り上げたのか、その事業の戦略と成長を加速させた着眼点を何回かに渡って取り上げておきたい。

あなたが就活生であれば、就職を考えている企業が、いかに作られたかを調べることに丁度良いし、ビジネスマンであれば、新規事業や既存事業で、取引先の方が財閥系の企業の関係者かもしれない。

また創業を考えている人であれば、ビジネスモデルの構築や事業成長のヒントとなるであろう。ご興味のある方は一読して頂きたい。

今回の主人公は、元々酒造を生業としていた中埜家当主、中野又左衛門であり、製酢業で財を成しミツカンを作り上げた経営戦略とその着眼点である。

 

1. ブームによる需要を先読み、副産物「酒粕」を金鉱脈に変え製酢業に邁進

 

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点
参照:七人の又左衛門:ミツカンのはなし

 

中野又左衛門 (初代) は、製造した酒を江戸に送り販売を行っていたが、江戸で流行し始めた江戸前鮨(早すし)に目をつけ、自身の事業で出てくる副産物「酒粕」を原料として製酢業を開業した。

酒造家が酢を造るなど、当時では考えられないことである。なぜなら、酒桶に酢酸菌が入ると、作った酒が全部「酢」になってしまうからである。

中野又左衛門 (初代) には、緻密な勝算があったと思われる。当時使っている酢は、高価だった「米酢」であり、自分が作る「酒粕」を原料として「粕酢」に変えれば、安く手軽にすしを食べることができると。

そうなると、鮨屋は、自身が製造する「粕酢」にブランド・チェンジすると踏んだのである。中野又左衛門 (初代) は、現在で言うところの「フロンティア・スピリット」溢れる人であったのであろう。

ブームによる需要の先読みは、事業成長の優れた着眼点である。また自身の「天分」も理解しており、ブームに乗る人々を「支える側」に徹したのも優れた事業家であること。

例えば、江戸前鮨が流行するのであれば、その鮨屋自体を経営しようと考えてしまうものであるが、自らプレイヤーとならず、プレイヤーを助ける事で、自身の事業の礎を築くことができた。

現在で言えば、仮想通貨などがこれにあたり、ゴールドラッシュを求めてプレイヤーの鼻息が荒いが、個人的にも「 リーランド・スタンフォード や リーバイスの理論 」で得意分野を通じて、プレイヤーを助ける事を考えるであろう。

中野又左衛門(初代)もそうだが、現在でも通用する優れたブランド戦略なのである。

 

2. 専売品としてブランドという認識を持ち独自性を確立、差別化戦略を推進

 

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点
参照:七人の又左衛門:ミツカンのはなし

 

中野又左衛門(初代)の希望で、製酢業に邁進していた中野又左衛門 (二代)は、事業の拡大を通じて壁に突き当たる。つまり「誰に許可をもらい、誰が売るか」という課題である。

許認可制であるビジネスを行う場合、誰の許可を得るのが最大の利益となるかという着眼点を持つことが重要なのである。この当時は、江戸時代であり、岡崎藩である。

事業で最も稼げる権利と言えば、独占販売権を得る事であるが、一度ライバル店に取られていた権利を取り戻すことに成功する。

また、最も売れる市場を探し出し、どの場所で販売し、誰が売るのがよいか、その最大の効果を得ることを考えるのが基本となる。

江戸市場で販売力のある有力老舗問屋「森田半兵衛」に一任して販売の強化を図る。

中野又左衛門(二代)は、酒粕を 3 年間熟成させたフラッグシップモデルを「山吹」と命名、江戸への専売品として売り出しており、他者がつくる商品との差別化戦略を推進する。商品の独自性を与え、ブランドの認識を持ち、事業を急成長させ、財を築いていった。

 

3. 事業の選択と集中、特約店制度を導入することで、商品の低価格を防ぐ

 

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点
参照:七人の又左衛門:ミツカンのはなし

 

中野又左衛門 (三代)は、酒造業を一族に売却して廃業し、食酢醸造業に専念することを決断する。また高級酢「山吹」が安く売られてしまうことを懸念し、旧来の販売手法を刷新することに着手する。

当時、商品の価格決定権は、荷を運ぶ船頭にゆだねる船手売りが主流であったが、これを根気強く説得を行い、最大得意先「森田半兵衛以外には売らない」手法を導入し、特約店制度に近い販売政策を行い、商品の低価格を防ぐことを行った。

主力事業の選択と集中、価格競争力の強化で、個人事業であった家業をグループでの経営を目指し、独占的出資による資本を中心に結合した経営形態、いわゆる財閥のスタートラインに立つのもこの頃からである。

 

4. 商標への取り組み、知的財産権の保護を進め、PRの手法を用いブランド力強化

 

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点
参照:七人の又左衛門:ミツカンのはなし

 

中埜家は、丸に「勘」の字を商標として利用していたが、明治初期、1884年に商標条例が公布された際、他社に丸に「勘」の字を商標登録されてしまったようである。

そこで、商標を(三ツ環)マークに改めたのは、中野又左衛門 (四代) であった。現在に至るまでミツカンの商標として使用している。

また、新商標において、知名度獲得の動きを進め、各地で「ミツカン商標披露」を行い、PRの手法を用いブランド力強化に努めた。併せて、新聞広告やカレンダーなどの多くの媒体を活用し、商標の認知、ブランドの知名度向上を図った。

同業他社における横並びとなりやすい商品を扱っている場合、ブランド商標における権利の保護が重要である。

知的財産保護を行っていても、知名度が低ければ、いくら商品が優れていても、高価格では売れない。

そこでブランドを露出を考え、消費者に向けて広く宣伝することで、他業種からの参入を防ぎ、同時に自社を選ぶ消費者が増えれば、その市場での圧倒的シェアを獲得することが可能となる。

 

5. 他業種参入でノウハウの獲得、生産拠点の近代化及び技術力強化、市場のグローバル化

 

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点
参照:七人の又左衛門:ミツカンのはなし

 

事業の選択と集中で、製酢業に資本を集中し発展してきた中埜家であったが、資本の蓄積が進むと、明治中期頃から事業の多角化を進めていく。

1887年、ビール醸造に進出、1896年に丸三麦酒株式会社を設立。ビール銘を「丸三麦酒」から「カブトビール」に改めたが、当時のビール業界は苛烈を極める戦国時代のような状態であった。

市場シェア獲得による戦いが終盤に差し掛かり、大日本麦酒が合併により誕生したことで、一転して 中埜又左衛門 (五代) は、ビール事業を売却を決断した。大日本麦酒は戦後、現サッポロビールと現アサヒビールに分割されたところを見ると先見性のある決断である。

また、1901年に合名会社中埜銀行を設立したが、1938年に伊藤次郎左衛門家が経営する伊藤銀行に営業権を譲渡し、廃業を余儀なくされた。

また他に、中埜家と盛田家が共同出資で、1926年に設立した「Pascoブランドでお馴染み」敷島製パン株式会社があるが、これは、盛田家の子孫が社長を世襲しており、中埜家の事業というより、盛田家の事業というべきである。

一度は選択と集中で、製酢業で資本を蓄積して、他の事業へ参入していく経営手法は、初代が行ったブームによる需要の先読み、本業が潤沢のうちに、他業種に転換していく手法は、優れているが、近年はあまり良い結果を得られていない。

ただ、ミツカンは、他業種参入で得たノウハウを本業に活かすのは非常に巧妙で、生産拠点の近代化、技術力の強化、市場のグローバル化に着実に展開している。

画像参照:七人の又左衛門:ミツカンのはなし

 

商売でかつての世界とは江戸であり、現在は個人でも全世界で商売することができる

 

【地方財閥のブランド戦略】ミツカン:中野又左衛門、代々続く製酢業からみる事業成長の 5 つの戦略と着眼点

 

家業を行っていた多くの商売人は、その地方で完結する商売を展開しており、日本でのグローバルとは「江戸での商売」と言っても過言ではない。当時、各藩が商いなどの統制を行っていた当時、小さな家業では、他の藩で商売すること自体、非常に困難であったからだ。

欧州のブランド企業でも、日本でも馴染み深いヴィトンやエルメスなど、欧州以外、長く理解されていなかったビジネスが、グローバルに市場に広げて、大きく成長しているが、欧州並びに自国内市場だけでは、ここまで大きくはならなかったであろう。

現在でも、多くのビジネスで、様々な規制を敷いているビジネスも多く、その規制や障壁を超えて、合法的かつ合理的に、ビジネスを展開するか、その方法を編み出し実践した事業家が圧倒的な財を得ている。

ミツカンが、代々事業に挑戦した手法は、個人にも応用可能かどうか、少し考えていくと以下のようになる。

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1. あなたか普段の仕事や行動で出てくる副産物をどう応用するか
2. 副産物を使い、利益を生み出す仕組みをつくる
3. 価格競争に巻き込まれない工夫を施す
4. 知的財産権をいかに守るか障壁を築く
5. 他の仕事でのノウハウを得意な仕事に応用、市場を広げる

 

こうしてみると、中野又左衛門 (1~7代) が事業を通じて行ってきた着眼点並びに戦略は、私たち個人でも十分通用する内容である。

あなたが仕事を通じ、大量に出てくる副産物とはなにか。それを考える事で、ビジネスを創造することができる。

人にとって利用価値を見出さない副産物を使い、利益を生み出す仕組みを構築することで、さらに効果的に利益を得ることができる。

その副産物を用い、仕組みで収益化出来れば、あとは順次生み出し、価格・権利・ノウハウの獲得を行いながら、仕組みにフィードバックしていけば良いのである。

中野又左衛門はミツカンを通じて、約200年以上に渡り、私たちの食卓を豊かにしてきた。これからも、私たちの食卓には欠かせない素晴らしい商品を生み出し続けることであろう。

 



About PG編集:道長

食べる事と寝る事に一生懸命な旅人。 世界は感染症や戦争で混沌としておりますが、平和になったら平和な国を旅をしたいと準備しております。 先代の管理者様より、サイト管理・記事制作を委任しております。 ※現在は写真提供をして頂いております。

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