あなたの身近にいる地方財閥家系という見えにくい富裕層
家業。実に多くの人々が創業し、そこで働き、多くの顧客に優れた商品やサービスを届け、利潤を上げる優れた資本を持ちたいと願うものである。
家業を大きく成長させ、一代もしくは数代で、独占的出資による資本を中心に結合した巨大な経営形態、所謂「財閥 」を築き上げた人々がいるのをご存知であろうか。
今回は、日本人が身近に感じている多くの商品が、あの地方財閥が経営している企業であり、地方の勢力が国内並びに世界で、ブランドを展開してきたか取り上げておきたい。参照としたのは、【日本の地方財閥30家 知られざる経済名門 】という書籍を参照としている。
日本全国の地方財閥をコンパクトに網羅しており、地方の財閥・資産家をバランスよく選び出し、何代何十年もその地域の高額資産を誇り、地方経済で無視しえない家系を地域・事業に分けて紹介している。
本物の富裕層とは、このような人々を指しているわけだが、それぞれ家業を発展し、どうブランドとして作り上げたのか、その事業の戦略と成長を加速させた着眼点を何回かに渡って取り上げておきたい。
あなたが就活生であれば、就職を考えている企業が、いかに作られたかを調べることに丁度良いし、ビジネスマンであれば、新規事業や既存事業で、取引先の方が財閥系の企業の関係者かもしれない。
また創業を考えている人であれば、ビジネスモデルの構築や事業成長のヒントとなるであろう。ご興味のある方は一読して頂きたい。
今回の主人公は、島津製作所 の二代目経営者であり、日本の十大発明家の一人「島津 源蔵 (二代目) 」の事業における経営戦略である。
1. 企業対行政間取引( BtoG )を取り付け蓄電池という金鉱脈を見つける
島津源蔵(二代)は、1884年、わずか15歳にして、感応起電機という、当時画期的な発電機を完成させる。1896年に日本初のレントゲン機器を製作、エックス線の撮影に成功する。
1897年に京都帝国大学にいる大学教授の依頼により、蓄電池の製造を開始している。学校での物理実験用の電源として蓄電池が広く使用されたのである。
発明による名声の獲得で、個人ブランド戦略を始めた 島津源蔵(二代)は、同時に、企業対行政間取引( BtoG )のような大きな取引を開始。
この場合、学校による行政のような大きな取引先を獲得することで、蓄電池事業は、対個人ではなく、会社組織として、本業の理化学機器の製造を上回る規模に成長する。
島津源蔵(二代)の当初の金鉱脈であるスキルは、「発明という知恵」であり、無から有を生み出し、財を築く礎を自ら作った。
ここまでは、一般的な零細中小のレベルであったが、法人に準じた大きな取引を成功させたことで、財閥のスタートラインに立つことができた。
2. 需要の大きい軍事関連に着目し大財閥を味方につけ資金の調達を受ける
第一次世界大戦で欧州からの外国製蓄電池の輸入が途絶えたことで、日本海軍向けに潜水艦用の蓄電池を国産化することで、さらに大きく飛躍することになる。
ここで海軍の納入業者である大倉組と懇意となり、三菱銀行とも知り合うことになったことで、大倉財閥 並びに 三菱財閥という強力な味方をつける。
事業をするうえで特に重要なのは、今後世界的に需要の大きくなるもの、国家が必要としたもの、誰が事業の味方に付いてくれるのかという点である。
最近では、早期にビジネスモデルを宣伝して、VCから資金を調達して、株式を公開し、市場から広くお金を集め、事業の早期の成長を考える経営者が多いが、国家を顧客とするという手法を考えていない経営者も多く、大きな企業へと変貌する優れた経営戦略であることも忘れてはならない。
3. 製造法を特許化、グローバルに対応して金鉱脈以外の分野に広げる
1919年、当時の最新技術であるペースト式鉛蓄電池の原料である鉛粉(えんこ)製造法を完成、特許を出願、1922年11月に仏で特許登録が認められ、その他欧米諸国11カ国で特許を取得。
この特許をベースに、蓄電池以外の用途を探した結果、塗料の製造販売を開始し、大日本塗料株式会社 を作り上げる。また、蓄電池を動力とする車両の製造にも着手。日本輸送機株式会社 (ニチユ ) を設立する。
このように、ひとつの金鉱脈である軸として、特許などで権利を保護し、参入障壁を築いてから、権利化された技術をベースに、隣接分野に参入して、カテゴリーを増やし事業の幹を太くしていく。
事業の側面支援や資金調達面などは、三菱や大蔵系の財閥が付いており、発明・技術・特許における知的財産を持つ個人並びに企業は強いということが、ブランド戦略の根幹にある。
あなたが働くべき所は、長期的に考える事が許され、目先の数字を追わず仕事ができる安定した環境
島津源蔵 ( 初代及び二代 )は、類まれなる経営者として、個人事業から身を起こし、地方財閥となるまで、事業の発展並びに日本の国益に貢献してきた。
日本で島津と言えば、もはや島津製作所が浮かぶまでに、ブランドとして認められている。「 GS 」というロゴは、島津源蔵の頭文字から名づけられている。
かのノーベル賞を受賞した田中耕一は、「入社したとき、すぐに製品に結びつかなくてもいい。三年、五年を考えながら画期的なものを、自由にやっていいと言われました。とても恵まれていました」と述懐している。本書:抜粋
そのことから、非常に発明を重んじ、人財としての企業の姿勢を感じることができる。ただ、現在の大半の企業は、目先の利益のみを追求し、従業員にプレッシャーとチャレンジという無茶を強要して、数字や時間で追い込むことが横行している。
その島津製作所でも、一連の不祥事 で、企業の信頼を損ない兼ねないわけだが、信用は長期的に時間を掛けて築かれるが、悪しき点が発覚するとブランドの信用は一瞬に崩れるものである。
そのような企業は、短期的な利益を上げなければ、事業としてもはや成り立たないという事を自ら示しているのであり、働くものとしては、早期に見切りをつけることが賢明である。
多くの大手のブランド企業に言える事は、名門と言えども、出来ないのでれば「出来ない」と正直にステークホルダーなどに伝え、出来ない上で「新たな対処策」を提示して事に当たるべきである。
もしあなたが働くのであれば、「人間を数字だけを上げる為の道具とみる企業」を選んでは人生を損する事となるだろう。島津製作所においても、ここ最近は、創業当初の「志」を忘れた人間がいたようで、組織内で長く不祥事が行われていた。
いかに優れた企業でも、創業歴が長くなり、大きな組織になると「慢心や驕り」が出てくるが、不祥事が度重なる場合、組織改革の大きな時期が来ているのはないかと思う。
私たち働く者が求めるべきは、環境 (人間関係や福利厚生) が安定し、その上で、企業並びに社会にとって「有益になるもの」に、全力で仕事に打ち込むことが出来る場で貢献するべきである。