シャネルの戦略:究極のラグジュアリーブランドに見る技術経営
ガブリエル・シャネル (通称ココ・シャネル) は、フランス法人 レ・パルファム・シャネル、現在の商号は、フランス法人シャネル S.A をはじめ、シャネルの表示された高級婦人服・香水・化粧品・ハンドバッグ・靴・アクセサリー・時計等の製造・販売等に関わる複数の法人から構成される世界的な企業グループである。
また香水「Chanel No.5」は世界的なベストセラーを続けている。シャネル社は株式公開をしていない独立企業であり、多くの情報は分からない。組織形態の主要な文脈は以下のとおり。
- シャネルブランド
- シャネル製品
- シャネルS.A フランス。オーナーはヴェルテメール一族
- シャネルグループ、シャネルS.Aを含む各国のシャネルを冠する会社群
- シャネルK.K 日本にける販売会社
- カール・ラガーフェルド、チーフデザイナー
- ココ・シャネル、シャネルの創業デザイナー兼起業家
シャネル・グループの実質的な本社機能は、ニューヨークであり、主にビジネス的機能を担う。オーナーのヴェルテメール一族もかつては欧州でオペレーションの拠点にしていたが、後にマンハッタンに移転している。
したがって、ニューヨーク・オフィスがグループ経営の戦略基盤であり、マーチャンダイジング、マーケティング、広告宣伝、PR、店舗デザイン、セールス、財務、法務、人事といった機能はすべてニューヨークに置かれているようである。
またニュージャージーにはITや流通、会計、人事、R&D、カスタマーなどの機能を担っているようである。フランス事業会社は、主にものづくりやクリエーションの拠点機能を担っているという事である。
ファッション(高級婦人服・ハンドバッグ・靴・アクセサリー)、ウォッチ(時計)&ファインジュエリー(宝飾)、フレグランス(香水)&ビューティープロダクツ(化粧品)という3分野からなる各事業、クリエーションはフランスで、グループ経営のオペレーションはアメリカという体制である。
Coco by Karl – Inside CHANEL
創始者とまったく血縁関係のないオーナーによる経営
シャネルの組織系統は、まず100%単独株主であるヴェルテメール一族、ヴェルテメール兄弟がおりその下に経営陣、カール・ラガーフェルドを筆頭としてクリエーションに携わる人々、現場スタッフがいる。
カールがシーズン毎に発表するコレクションや、そのもとになるテーマを基軸にして、三つの事業分野の製品がつくられているという。
創業者ココ・シャネルが創出したスタイルや哲学に基づいて、最先端であればシャネルはこうデザインするだろうという再解釈とその枠から外れる事はないという。
シャネルは、同じフランスのラグジュアリーブランドのルイヴィトン、カルティエ、グッチなどと比較すると、資本形態はまるで異なる。
ルイヴィトンが属するのは、LVMH、カルティエが属するリシュモン、グッチが属するケリンググループ、コングロマリットに属さない、基本的には独立企業である。
同じフランスのラグジュアリーブランドのエルメスも、コングロマリットに属さない、ファミリーを中心に経営している企業であり、創業者一族が経営権を握っている。
それに対し、シャネルは経緯があり、創業家と縁のないというよりも相容れない関係にあった別の一族であるヴェルテメール一族が経営権を握っているのも、エルメスとはかなり異なる。
創始者とまったく血縁関係のないオーナーが100パーセント所有して経営している点も、異質性がある企業である。
シャネルの 3 つの事業分野
シャネルはファッション産業に属するが、同社の事業はファッションだけでなく、大きく分けると三つの事業分野があるという。
基本的には自社と技術と必要性がある分野しか進出しない、という特化戦略が特徴的である。
世界的規模で、独立非公開企業で総合ブランドというのは、世界中を見回してもあまり見かけない。
1. ファッション(高級婦人服・ハンドバッグ・靴・アクセサリー)
高級婦人服には、オートクチュールとプレタポルテがある。ハンドバッグやアクセサリー、バッグや財布などの革小物や靴、ネックレスやピアス、ブレスやベルトなどが含まれる。
ココ・シャネル自身のニーズから生まれたブランドであるため、基本的には成人女性用であり、男性用、子供用などの商品は基本的に作らないし販売しない事になっているようだ。
ただ「女性が男性にプレゼントする」という大義名分があるとかで、ネクタイはあり、私自身も数本以上保有しているが、比較的商品点数の多いセグメントである。
2. フレグランス(香水)&ビューティープロダクツ(化粧品)
フレグランス(香水)事業は、香水・オードゥパルファム、オードトワレ、ボディクリームや石鹸などのバスラインがあり、シャネルは女性向けの製品が基本であるが、フレグランスでは男性用ラインを出している。
ビューティープロダクツ(化粧品)事業には、化粧水や美容液などの基礎化粧品分野と、アイシャドーや口紅などの色物分野がある。前者は自前の化粧品技術開発研究所でかなり長い時間をかけて開発が行われる。
後者は、フランスにあるメイクアップクリエーション部門のもとで1年に4回と比較的短期サイクルで新製品が開発され、発売するようである。
3. ウォッチ(時計)&ファインジュエリー(宝飾)
ウォッチ(時計)は、直営店以外に、百貨店や正規代理店でも他のブランド時計とともに販売されている。アクセサリーに使われるのはイミテーションだが、ファインジュエリー(宝飾)に使われるのはダイヤモンドをはじめ本物の宝石である。
大型ファッションブティックでも、専門のファインジュエリーブティックもあるようだ。流通は厳しくコントロールされており、時計は正規代理店でも扱っているが、それ以外の製品は直営店か百貨店の中の店舗でしか販売されていない。
ライセンス販売もアイウェアを除いて一切行っていない。アイウェア事業については、ライセンスだけ与えてライセンシーに任せっきりではないようである。
“The Return” by Karl Lagerfeld – The Film
シャネルの戦略:究極のラグジュアリーブランドに見る技術経営、各考察
シャネルS.Aの歴史~創業から空白、復活そして死去までの時代
実はシャネル S.A は、シャネルの一族や親族が経営しているわけではなく、生涯未婚で子供もいない事から、ココ・シャネルは一代の人である。現在の会社の全権を握っているのは、ヴェルテメール一族である。
ココ・シャネルが創始したブランドを経営しているのは、血縁的にまったく関係のない億万長者である。現在のオーナーアラン・ヴェルテメールの祖父、ピエールがはじめてココ・シャネルに出会ったのは、1922年で正式にビジネスパートナーになったのは、1924年の事である。
シャネルという企業は、億万長者が長い年月、資本を投資している投資家兼経営者が実質的にすべてを握っている”ヴェルテメール”の会社なのである。
シャネルS.Aの歴史~ココ死後の空白、カール・ラガーフェルド、非上場の時代
経営を引き継ぎ、香水「シャネル N゜5」はまだグローバル香水事業のリーダー的存在であったようだ。当時8億7500万ドルだった米国市場では、4%のシェアを占めていた。
手始めに香水「シャネル N゜5」イメージ回復戦略に着手、化粧品事業への参入、生前ココが猛反対し続けたプレタポルテ事業を開始。シャネル社の事業に大きな影響を与えるキーパーソンが何人か入社。
1980年に入社させたキティ・ダレーソであり、彼女が、カール・ラガーフェルドの才能を見出し、シャネルの後継者としてカール・ラガーフェルドは、シャネル・ブランドの顔として表舞台に登場する。
かつて、ココ・シャネルは知的財産権は必要ないと言い「贋物」を容認していたという。贋物こそが本物を際立たせるのだと。
ココ・シャネルの本物として自信の裏返しの発言であり、安価な粗悪品が流通するのではなく、本物の高級品であれば、贋物が出回っても両者が混同される事はないと言うことである。
現在では贋物は巧妙であり、混同を生じる恐れのある場合が多く、放任し続ける事で大きく社会的被害が出ることも多く、ココ・シャネルが生きた時代とは考えは即さない。
プルミエールはデザインアイコンを前面に打ち出した後発企業市場参入戦略モデル
シャネルの時計事業の歴史は浅く、1987年に始まる。シャネルが高級時計市場に参入するきっかけをつくったモデルが、この「プルミエール」モデルである。
すでに高級時計市場では、スイス製が圧倒的な歴史とシェアを誇っており、他分野で名声を確立したシャネルでも容易な参入は困難を極めた。
時計専門ブランドではなく、後発企業という二重苦を負うシャネルの戦略的モデルとして、プルミエールは市場に投入されたが、すでに欧州市場での参入は難しい。
シャネルは大小様々なクラッチバッグやショッピングバッグを多く出しているが、大半の人がシャネルバッグと聞いて思い浮かべるのは、キルティング加工に、チェーンのベルトがついた長方形のショルダーバッグである。
キルティング・チェーンベルト・長方形と見れば、シャネルのバッグでなくても、シャネル風バッグと想像できる。デザイン上の特性で特定のブランド象徴する事が可能なのは「アイコン」として地位を不動のものにしているからに他ならない。
シャネルの定番人気といえば「シャネル マトラッセ」であり、非常に奥の深いモデルとなってきています。比較的新品に近い相場は、約 20万~30万以上の相場を形成していて、いつもその高額なモデルに驚嘆する次第である。
その相場は大小様々で、それこそ数多くのモデルが取引され、真贋もさる事ながら、その相場観をつかむのに非常に苦労するものです。相場をつかむのは、昔は質屋等に出入りし、ホンモノのモデルを多く見て、売買市場は比較的クローズな世界でした。